——歌やダンスを習ったことがない“未経験”の状態ながら、2021に開催されたオーディション「THE FIRST」の頃からポテンシャルの高さを示してきたREIKOさん。幼少期から音楽が身近にあったのでしょうか?

REIKOさん(以下、REIKO):僕の両親は音楽が好きで、子どもの頃から家の中で何かしらの音楽が流れていたんです。自然と僕も音楽が好きになって、小学生の頃はお母さんの影響でビヨンセの曲をめちゃくちゃ聴いていました。「Crazy In Love」をはじめ、ブレイク初期の楽曲は今でもだいたい歌えると思います(笑)。そんな感じで当時から洋楽を好んで聴いていましたが、僕自身がいちばんハマったアーティストはアリアナ・グランデですね。中学1年生の頃にネットで「Break Free」のライブパフォーマンスを見て、圧倒的なボーカルに感動したのがきっかけで、そこから新曲は全部フォローしてきましたし、今日も移動中に聴いてきました。

REIKO「ずっと音楽が救いでした」。SKY-HIが満を持して解き放つ逸材が振り返る学生時代〈ロングインタビュー前編・全3回〉_img0

 

——当時から音楽を聴くだけでなく、カラオケなどで歌うことも好きでしたか?

REIKO:カラオケ大好きでした! 中学校ぐらいからお小遣いをもらえるようになったので、よく放課後に行っていましたね。一緒に行く友だちが日本人だったので、カラオケではずっとJ-POPを歌っていました。

 

——美声で同級生を酔わせていたのではないかと思いますが、「自分は歌が上手い」という自覚はありましたか?

REIKO:自分で言うのはちょっと恥ずかしいですが、その自覚は小学生の頃からありました。僕が通っていた小学校には合唱部があって、僕はその合唱部の1期生だったんですけど、周囲の大人から歌を褒めてもらえることが多かったことを覚えています。テレビ局が開催しているコンクールや小学校のイベントでパフォーマンスする機会があったので、自然と人前で歌うことにも慣れていて。振り返ると、歌という得意なことがあるおかげで、自信を持って生きてこられた気がします。

——その頃から将来は音楽に関わりたいという気持ちがありましたか?

REIKO:中学校でも文化祭で同級生の前で歌を披露することもあって、卒業文集でも歌の話を書いたのですが、当時は漠然とした憧れを抱いていただけでした。アーティストになることがどういうことか分かっていなかったし、今と比べたら本気度が比べものになりません。

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——ちなみに、REIKOさんの涙もろい一面も子どもの頃からでしょうか?

REIKO:物心ついた頃から、ずっと泣き虫でした(笑)。家族全員、感情表現が豊かで、喜怒哀楽が分かりやすいんです。お母さんなんて、ちょっと感動的なCMが流れただけで泣いちゃうんですよ。だから僕の泣き虫は母親譲りです。僕が必ず泣いてしまうのはディズニーの映画ですね。子どもの頃からディズニーチャンネルに加入していて、視聴する際は両親が音声を英語にして、そのおかげで英語力が伸びたんですけど、ディズニーの映画って、たとえ言葉がよく分からなくても泣けちゃうじゃないですか。僕だけかな……?

——ディズニー作品のなかで、個人的にいちばん泣けるタイトルは?

REIKO:ひとつを選ぶのが難しいのですが、パッと思い浮かんだのは『Coco』(邦題:リメンバー・ミー)ですね。メキシコが舞台で、ミュージシャン志望の少年の冒険を描いているのですが、家族のために歌うシーンが最高で……思い出すだけでちょっとヤバいです(実際に目をウルウルさせる)。でも、さすがに友だちの前でしょっちゅう泣くような子どもではなかったですよ。涙腺がユルくなったのは、やっぱり「THE FIRST」に参加してからだと思います。

——学生時代からとても素直で純粋な少年だったことが伝わってくるのですが、反抗期はありましたか?

REIKO:僕は7人兄弟の長男として育ったので、それなりに責任感があって、大胆な反抗をしてこなかったと思います。不満があって少し拗ねるとか、口数が減る程度の小さな反抗はあったかもしれません。