コンプレックスと自意識
商社に勤める夫の拓海が、バンコク転勤の辞令がでたとき、咄嗟に浮かんだのは自分の仕事の引継ぎが短期間でできるかどうかということ。
さほど大きい会社じゃないけどメーカーの営業職、つまり正社員として働けていることがどれほど恵まれているか、わかっていた。ここでキャリアを手放したら、もう正社員にはなれないかもしれない。当たり前だ、いいポジションはいつだって取り合いだから。
私も自分なりに学生時代から努力してきたと思う。
でも34歳になって、私が選んだのは夫の駐在に帯同してその会社を辞めること、だった。
理由はいろいろある。
まず、ちょうど子どもが欲しいなと思っていたタイミングだった。夫の任期は少なくとも4年、長ければ6、7年。もしここで国をまたいだ別居をすれば、絶好の妊活時期を逃してしまう。
それから……これはひとには言ったことがないけれど、夫はイケメンという訳じゃないのに、妙に女の人を惹きつけるところがあり、何年も離ればなれで暮らすのは正直に言って心配だった。
どんなに愛し合っていても、ひとは距離や時間に負ける。とても簡単に。
そして何よりも、夫婦は多少譲歩してでも支え合うべきだと思っていたし、もっと言えば、どちらかがサポートに回らなくてはならないのであれば、それは妻だと、心の奥底で、強く、固く、思っていた。思いこんでいた。
それは私の家庭への憧れがそうさせるのかもしれない。母が40のときにできた一人っ子で、同世代の子が育った家の子に比べてだいぶ昭和なテイストで育った。小学生のときに両親が離婚。母が「私が仕事で忙しくしていたからお父さんがよその女の人のところに行っちゃった」とつぶやいたのが忘れられない。その母も、私を育てるために仕事を頑張り、自分のことを後回しにするうちに病気が進行してしまう。そしてあっという間に別れがきた、19歳の春。
そのあとの苦労は、あまり思い出したくない。そんな経緯から、世間ではいろいろな意見があるけれど、私はもっと個人的に、体感的に、結婚したら夫と一緒にいて支え合いたいと思っていた。だから、バンコクにやって来た。
……のだが。
最高に恵まれていて、そしてとてもしんどい毎日が、始まった。
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