運転手のサムットさん
――サムットさん、16時半から出かけてもいいですか? 帰りは自分でタクシーを呼ぶから、送ってもらったら今日はおしまいで大丈夫です。
スマホで英語のメッセージを送ると、間髪入れずに既読になり、「承知しました」といつもどおりの返信が入る。
サムットさんは、夫の会社がつけてくれたドライバーで、我が家の専用車としてスタンバイしてくれている。
夫の出勤の送迎以外は、日中、私の買い物や習い事の送迎をしてくれるので、運転ができない私は本当に助かっていた。
サムットさんは、無口な男の人で、歳は私より少し上、44歳。小柄で痩せていて、一応英語が話せる。車のすみっこに、可愛い奥さんと兄弟の写真が貼ってあり、おそらく良きパパなのだろう、バンコクの郊外で暮らしているらしい。
夫は「愛想はないけど、気を遣わなくていいから楽だ」なんていうけれど、私はサムットさんをとても信頼していた。時々、日本人御用達のスーパーで買ったお菓子をお土産に渡すと、「ありがとうございます、奥様」とお辞儀をして、大事そうに持って帰ってくれる。
サムットさんにメッセージを送ってから、時計を見た。15時半。バンコクに来てから1日はとても長い。私は丁寧にメイクをして、アクセサリーをつけ、香水をつける。
今日は部長の奥様のお誕生日会で、プール付きのパーティルームでシャンパンパーティの予定がある。
鏡の中の自分を見ながら、日本にいたときはガムシャラに働いて、メイク直しもろくにせず、仕事と家事で毎日必死だったことを思い出し、こんな暮らしは何かの冗談みたいだと思う。
期間限定の有閑マダムごっこ。贅沢で、滑稽な毎日。
運転手の意外な提案
「サムットさん、お待たせしました、ありがとうございます」
コンドミニアムの地下駐車場に行くと、ドライバーの控室があり、そこに何人ものタイ人ドライバーがのんびりとごはんを食べたりテレビを見たり、昼寝をしたりして出番を待っている。サムットさんは控室から出てきて日本式に丁寧にお辞儀をすると、車寄せにスタンバイさせていた車の後部ドアを開けてくれた。
「トンローの、新しくできたレジデンスまでお願いします」
「かしこまりました、奥様」
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