優秀な人ほど苦しむ「老い」。あきらめないことの弊害とは?

 

若いときから優秀だった人は、人生で得たものが多い分、失うつらさにも耐えなければなりません。仕事で高い地位についていた人は、リタイアしてふつうの人になることに抵抗があるでしょうし、頭がいいと言われていた人は、記憶力や計算力が衰え、言いまちがい、勘ちがいなどを指摘されると腹が立ち、逆にショックを受けたり、落ち込んだりします。

もともとさほど優秀でない人は、リタイアしても同じですし、記憶力の衰えなどもたいして気にはなりません。

健康に気をつけて、どこも悪いところがなかった人も、老化現象による不具合には耐えるのがたいへんです。若いときから具合の悪い人のほうが、慣れている分、年を取ればこんなものだと受け入れやすいでしょう。

私より8歳年長の知人は、高学歴で社会的地位も高い職業に就いていましたが、老いを受け入れることができずに苦しんでいます。76歳にもなれば、衰えて当然だと思うのですが、なんとか若いときの状態を維持しようと頑張っています。これまで大きな挫折の経験がなく、逆に努力によって困難を克服してきた成功体験があるので、老いにも努力で立ち向かおうとするのです。当然、心は安らかではありません。「いい加減にあきらめたら」と奥さんに言われても、頑としてあきらめません。あきらめたら終わりだ、敗北主義だと頑張るのです。

老いの不如意も衰えも、受け入れて付き合っていくしかない。そう思えたら少しは楽になるのにと思います。あきらめの効用です。あきらめるというのは、もともと「明らむ」、すなわち「つまびらかにする」とか「明らかにする」という意味で、仏教では「諦」という文字は「真理・道理」の意味があるそうです。あきらめきれないのは、状況を明らかにしていない、真理・道理に到達していないということで、だからイライラ、モヤモヤするのです。

健康維持や老化予防の努力にも思わぬ罠が潜んでいます。

毎日、しっかり運動をして、酒、煙草もやらず、夜更かしもせず、栄養のバランスを考えて、刺激物を避け、肥満にも気をつけて、疲れも溜めず、健康診断や人間ドックも欠かさず、ストレスも溜めず、細心の注意で健康に気をつけていても、老化現象は起こります。がんや脳梗塞やパーキンソン病、あるいは認知症も、なるときはなります。そのとき冷静に受け止められるでしょうか。あんなに努力したのにと、よけいな嘆きを抱え込んでしまわないでしょうか。

もちろん、努力をすればリスクは下がります。しかし、ゼロにはなりません。そのことをしっかり認識しておかないと、努力しない人以上の苦しみに陥る危険があります。
 

著者プロフィール
久坂部 羊(くさかべ よう)さん

1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部附属病院の外科および麻酔科にて研修。その後、大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で麻酔科医、神戸掖済会病院一般外科医、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(幻冬舎)で2003年に作家デビュー。『祝葬』(講談社)、『MR』(幻冬舎)など著作多数。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞。小説以外の作品として『日本人の死に時』『人間の死に方』(幻冬舎新書)『医療幻想』(ちくま新書)『人はどう死ぬのか』等がある。

 
 

『人はどう老いるのか』
著者:久坂部 羊 講談社 1012円(税込)

医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に老いている人、下手に苦しく老いている人のさまざまなパターンを紹介。「いつまでも元気で自分らしく」「介護いらず医者いらず」といった理想像ではなく、不自由で思い通りにはならない「老いの実像」を見つめることで、逆説的に穏やかな気持ちで老いるコツを導き出していきます。まさに「良薬は口に苦し」を地で行く内容で、老いを必要以上に恐れないためにも読んでおきたい一冊です。


写真:Shutterstock
構成/さくま健太
 

 

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