生まれてきたときよりも成長していたい
人それぞれ、「生まれてきた目的は違う」というのは前提ですが、個人的に思うことは、自分が死ぬときは、「生まれてきたときよりも、もっともっと成長していたい」ということです。死んだ後、もし、魂として存在していくのであれば、なおさら。
「生まれてきたときよりも成長しているのは、当たり前」と思う人は多いかもしれませんが、本当にそうでしょうか。
私たちは、このちょっと世知辛い世の中で生きているうちに、赤ちゃんのときのような「純粋さ」、ただただ存在していていいんだと思える「自己肯定感」、親など人に対する「無償の愛」を失いかけています。
赤ちゃんの頃と比べて、文字を書けたり、計算したり、物を作ったりと、出来ることが増えているのだとしても、「“魂の存在”として見たときには、どっちのほうが大事なのか」なのですよね。
死んだら何もかも失うが、それが何なのか
死んだら、物質的なものは何もかも失います。自分にとっての宝物も、これまで手に入れてきたものも、培ってきたものも全て。でも、見方によっては「それが何なのだろう?」とも思うのです。
もし「“それらが必要ない世界”で、その後も存在していく」のであれば、失ってもどうってこともないですしね。
ものごとを “人生”というスケールで見るのか、“目先の生活”にフォーカスを当てるのかで、選択するものは変わります。
少なくとも、私は「“死後の世界で必要ないもの”のために、自分の魂を汚すことだけはしたくない」と考えています。それは、「生まれてきた目的」とは違うような気がするからです。
大切な人の死は、人に与えるインパクトは大きい。だからこそ、私たちにとって、「死」とは、「生きる」とは、どういうことなのかを考えるきっかけになります。
それは、幸せに生きていくために重要なこと。もしかしたら、大切な故人が私たちに気づかせてくれているのかもしれません。
残された私たちは、この世界を卒業するまで、しっかり生きたいものですね。
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