給与は夫の3分の1。それでも妻の胸に湧いた想い
腹を決める、というのはこのことでしょう。千鶴さんは、それまで無意識に結婚前に勤めていた大企業のイメージが頭にあり、仕事を選んでいたことを自覚します。そして、最優先条件を「すぐに働けること」とします。
ほどなくして、正社員ではありませんが保険会社の外交員の仕事が決まり、2週間後から勤務できることになります。お給料は正敏さんの三分の一以下だったため、もとの生活を維持することはできません。それでも、毎月決まった収入があることで、千鶴さんの心はぐっと強くなりました。
「一番の優先は夫の闘病を支えること。そして次に大切なのは子どもたちの生活を守ることでした。そこで夫に『マンションが値上がりしているから、ローンは残っているけれど売れば赤字にはならない。もっと月々の支払が少ない賃貸に引っ越さない?』と訊きました。
すると彼は首を振り『団信に入っているから、絶対にそんなことしちゃだめだ』って。俺がじきダメになったら、それで千鶴たちの家は確保できるからって。そしてその時は、子どもたちの私立中学を退学する前に学校に事情を説明してみるんだぞ、と言うのです。家計の急変があったとき、授業料の支払いを猶予してくれる制度もあるらしいって。病床のスマホでいろいろ調べてくれたようでした」
平凡な幸せが、どうしてこんなに簡単に崩れるのか。歯を食いしばりながら、千鶴さんはとにかく慣れない仕事に全力で打ち込みました。また知り合いが回してくれたマンションの管理人として夜勤をするアルバイトも始めます。
半年後、大奮闘の甲斐があり、お子さんたちは転校をせずに済むことに。少しずつ貯金を崩しつつも、ローンも払うことができるようになりました。ただし、徹底した自炊、ピアノなどの習い事はすべて休止、一番下のお子さんの塾も辞め、公立の中高一貫校に志望を変更、上のお子さんが家庭教師をする体制を整えました。また、3年以内に収入をさらにアップさせ、貯金に手をつけなくてもいいようにする計画を立てます。
正敏さんの再手術は成功し、放射線治療は続けながら、日常生活への復帰を模索することになりました。すぐにできる仕事を探す、と言った正敏さんを、千鶴さんは静止したといいます。
「放射線治療の副作用もあるし、今無理をするよりも、しっかり養生してほしい。お金は私が稼ぐから。しばらくは家にいてできるアルバイトと、子どもたちをサポートしてくれたら、みんなすごく心が元気になると思う」
千鶴さんはそう伝えます。彼女の仕事は1日にたくさんの訪問先やノルマがあり、久しぶりの仕事の復帰は生易しいものではありませんでした。疲れとプレッシャーで、それまではどんなことをしても落ちなかった体重は数ヵ月で6キロも減ったそう。
また専業主婦だった頃は家を常に綺麗に保ち、夕食を2時間かけて支度することもありました。もうそんなことはできません。
それでも、千鶴さんの漠然とした不安は仕事をしたことでずいぶん少なくなり、心は安定したといいます。また、正敏さんもそれまでは自分は仕事、家のことはすべて千鶴さんと割り切っていた様子でしたが、二人の役割は「ボーダレス」に変化しました。正敏さんは千鶴さんへの感謝を口にし、養生しながらできることを家族のために頑張ることに照準を定めます。
家族の辛いピンチは、少しずつ、夫婦の新しいシフト体制を生んだのです。
がんの発覚から6年が経った今、正敏さんは無事に治療を終え、病院に行くのは半年から1年に1度の定期健診になりました。3年前に負担の少ない仕事に就き、本格的に社会復帰を果たすことができました。
そして千鶴さんは、今では成績優秀な保険外交員として大活躍しています。仕事が大変だと感じることはあるものの、夫婦二人で働いて、家事も家計もフレキシブルに補い合っていく家庭を目指しているといいます。
「夫婦は、いいときばかりじゃないし、人生は突然困難に見舞われることもあるという当たり前のことを痛感した6年間でした。でも、そのために夫婦というタッグがあるんだと気づきました。きっと力を合わせれば、いい知恵も出るし、困難をしのぐ方法を模索できる。苦しい時期だったけれど、その結果の毎日に感謝しています」
千鶴さんの健やかな強さが、笑顔からにじみでいいました。ご夫婦の未来にこの先何があっても、しなやかに進んでいかれるのだろうと確信して、取材を終えました。
そして最後に、筆者も含めて仕事や子育てに追われる世代の方々、日々を懸命に生きる皆さんが、忙しい合間にも健康診断に行き、健康を大切にしてほしいと切に願います。
写真/Shutterstock
取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
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