許さないまま、ともに生きていく

桐野夏生の『女神記(じょしんき)』という小説がある。一番苦しかった頃は、死んだらこの本を棺に入れてもらうと決めていた。この本を握りしめて、黄泉の国の女神・イザナミと巫女のナミマに会いに行く。そして私の話を聞いてもらう。暗い暗い闇の中で、縷々思いを語るのだ。そう想像することが救いだった。詳しくはぜひ本を読んで欲しいが、夫への怒りをどうするかという私の苦しみに一つの答えを与えてくれた小説である。

離婚をやめた夫と10年ぶりに始める二人暮らし。「寝室は別々」よりも悩ましく不安なこと【小島慶子】_img0
『女神記 』 桐野夏生 著 ¥649/角川文庫

女神イザナミは出産で死に、夫である男神イザナキによって永遠に黄泉の国に閉じ込められた。その怒りは情で和らぐことも消えることもない。彼女は人ではなく、神だからだ。悲しみながら永遠に怒っている。そのイザナミに仕えるナミマという巫女の霊は、信じた男に殺されて黄泉の国に来た。蜂に姿を変えて復讐を果たすも、愛した男の魂を永遠に呪うことはしない。彼女は人間だからだ。そしてある日、私も気がついた。そうか、構造への怒りを持ち続けながら、人の心を持つことはできる。夫のしたことと、そのような振る舞いを生み出す社会構造を一生許さなくても、彼と一緒に生きていくことはできるんだ。彼は生身の人間で、過去は変えられないが本人は日々変化している。私の「許せない」という苦しみは、「許さなくてもOK」という答えでいきなり楽になった。その結果、許さないままで夫を人として受容することができたのだ。これを、赦しということもできよう。個人的な傷から構造への怒りを抽出した結果、出血が止まった。自分も相手も過去の行いではなく現在のありようでよしとすることができるようになった。事件から、ここまで20年。長かった。あまりに長かったので、みなさんには早めに『女神記』を読むことをお勧めする。
 

 


夫の寝室になる予定の部屋のドアが閉まっていると、中で夫が寝ているような気がする。出てきてお茶を入れてくれそうな気がする。今日近所で見つけた野菜の無人販売所を夫に教えてあげなきゃと思う。一昨日ふらっと入って大当たりだった地元のイタリアンに連れて行こうと思う。もしかしたら夫が帰国するまでの今の時間が、いちばん楽しいんじゃないか。その人がいる時よりもいない時の方が仲がいいって、よくあることなのかもしれない。
 


前回記事「槇原敬之の名曲に50代の今また涙。「世界一素敵な恋」なんてないと知る私が気づいた夫婦の可能性【小島慶子】」>>

離婚をやめた夫と10年ぶりに始める二人暮らし。「寝室は別々」よりも悩ましく不安なこと【小島慶子】_img1
 
離婚をやめた夫と10年ぶりに始める二人暮らし。「寝室は別々」よりも悩ましく不安なこと【小島慶子】_img2