あっという間にすべてがすり抜ける
結局、PCはどこにもなかった。
あの日は会社に戻り、あちこちを調べたあと、すぐに駅に行って届いていないか確認をした。終電まで探し回って、仕方なく美優のいるホテルに戻ったが、美優はすでにチェックアウト。しかしとりなすような余裕もなく、家に帰宅、探し回ったあとに警察にも届けたけれど、出てこなかった。
丸1日探しまわったあと、観念して会社に届けて……そこからは思い出したくもない。
サラリーマンなんて本当にくだらない。始末書を書いて、上司や役員からの叱責、取引先への土下座のような謝罪、人事部で講習を受けて……そんなことをしている間にプレゼンはもちろん負け、プロジェクトは中断。手柄は消えた。
PCの紛失は、顧客情報の漏洩として徹底的に糾弾された。チームに多大な迷惑をかけて、針のムシロにかんじていたところに出た転勤辞令は、はっきりと出世街道から外れたのだとわかるものだった。
辞令の前後に、美優は派遣の契約を更新せず、会社からもオレの前からも消えた。あっさりしたものだ。
「たっちゃん、気づいてないけどその性格で敵が多いから、あんなつまんないことで足をすくわれるのよ」
それが最後の言葉。人間、最後に本性が出るもんだ。
とにかく、オレはPCを失くしただけであっという間に何もかもを失った。残ったのは田舎への辞令と古女房。佳織はのんきなたちが幸いして、転勤の辞令にも文句を言わず、むしろどこか楽しそうについてくるという。まったくおめでたいやつだ。
それにしても……一体オレのPCはどこにいっちまったんだろうか。会社からホテルに移動する電車のなかでこつぜんときえた。おそらく泥棒なんだろうが……あの日電車は混んでいたけど、もし後ろに男がいて不自然に密着してきたら、いくらイヤホンをしていてもきがつきそうなものだ。周囲の目もあるはずだし、おかしいじゃないか。プロのスリかもしれない。いまいましい。ライバル企業の差し金かもしれないとも考えたが、今のところそのデータが悪用された形跡はなかった。
まったく、一体どういうことなんだろうか?
世間知らずな妻
「佳織、北海道に行くんだって? 寒いところ大丈夫なのー?」
達也くんの転勤1週間前。おおかた引っ越しの準備も終わり、お友達と送別ランチと称して素敵なカフェにきた。こういう華やかなお店には、達也くん、連れてきてくれないからとってもテンションがあがる。
「でもさ、なんでまた北海道? 達也さん順調に出世してるみたいなこと言ってたじゃない。転勤は基本的にないんだって昔言ってなかった? もしかして半沢直樹みたいになんかやらかして出向!?」
私は肩をすくめてみせた。
「なんかねえ~会社の備品、失くしちゃったらしいんだよねえ。それで出世もぱあみたいよ。会社って厳しいのねえ」
「え!? 情報漏洩とかそういうこと? PC? それはやばいわ~。どっかに置き忘れちゃったの?」
私はバニラの香りがする濃厚な紅茶に気をよくして、思わずするりと言葉が出た。
「電車で、誰かに盗まれたみたい。器用よねえ、背中のバッグからすうっと抜き取ったみたいよ」
「え? 怖い! スリ? 捕まったの? どんな男?」
「……女よ。手が器用で背も小さいから目立たないし、意外に連れですって顔して堂々とチャックを開けられたのかもしれない。まあ彼女もこんな大事になるなんて思わなかったでしょうけど」
私の言葉は、運ばれてきた豪華なアフタヌーンティの3段トレイをみた友人の歓声にかき消される。
そう、結果オーライ。トラブルを起こして浮気どころじゃなくしようと思ったら、東京を離れられて別れてくれた。目的はコンプリート。お給料がちょっとくらい下がったってかまわないの。お嫁にくるときに持たせてもらった秘密の株の配当があるから、なんとでもなるしね。
「世間知らずの妻ですから」
私はうきうきと、熱々のスコーンに手を伸ばす。
「娘が可愛いと思えない……」苦悩する母に届いたメッセージとは?
イラスト/Semo
編集/山本理沙
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