相手に好意を抱かれないから「好き」でいられる


ある友人は、「会社で大好きな異性の先輩がいて、私がその人を好きなことは会社中に知れ渡っているくらい日々絡んでるけど、その先輩が絶対に自分にはなびかないってわかっているから、安心して好きでいられるんだよね。もし、その人がちょっとでも私のことを好きになったら、絶対冷める」と言っていたんです。

この、「自分のことなんて絶対に好きにならないところも含めて好き」っていう感覚、あると思うんです。ちょっと矛盾しているように思われるかもしれませんが、「自分を“そういう対象”として見てこないこと」が安心に繋がるんです。

その友達の好きな先輩は、恋愛対象ではないくらい年上だそう。年齢差や職場での立場の違いのある異性の場合、「その人」のことは好きだけど、「すごく年下の自分を恋愛対象として見てくるその人」は“気持ち悪い”という感覚があるのかもしれません。

 


「女」として見られた瞬間に芽生える嫌悪感


筆者も、蛙化現象のようなものに悩んだことが何度かあります。

初めての記憶は、中学2年生の頃。不登校だったため、相談室に通っていました。そこによく出入りしていた男の先生がいました。新任教師だったので、おそらく23~24歳だったと思います。面白くて優しくて、すぐに仲良くなり、毎日楽しく話していました。その人のことは「先生」として好きでした。ある日、その先生にこう言われたんです。

「ヘアピンの位置変えた? 女の子って、こういうのちゃんと言った方がいいんだよね?」

その瞬間、虫唾が走ったんです。その後も、私を「女子」として見てくるような発言をされ、もちろん本気ではないことはわかっていつつも、顔を見るのも無理、声を聞くだけで吐きそうになる状態に。

そのゾワゾワ感は強烈なもので、トラウマに近いかもしれません。自分でも自分がなぜそこまで拒絶反応を起こすのか、わからないんです。これは別に恋愛対象として好きだったわけではないので、蛙化現象とはまた違うかもしれませんが、この後の人生でも、「なんなら好きだけど、相手が好意を示して来た瞬間吐きそうになる現象」に悩まされることとなります。

人として大好きで、仲良しで、その人のことを思い出すとニヤニヤして小躍りしちゃうくらいにはラブな人がいたんです。でも、あるとき話の流れで、LINE上で「僕はヒオカさんのことが大好きなんだよね」と言われたんです。それが決して恋愛文脈ではないことはわかりました。でも、その文面を見た瞬間、中2のときに感じたあの強烈なぞわぞわが全身を襲ったんです。

え? なんでこんな私拒否反応出てんの? その人のこと大好きだったじゃん。

と、自分でも大混乱。以降、その人を思い出すと、「うげっ」ってなってしまうようになったんです。