結婚しないと「誰かの一番」になれない?


結婚願望が強い友人に、なんで結婚したいの? と聞いたことがあったんです。すると、「誰かの一番になりたいから」という答えが返ってきました。「海で同時に、友達の夫や子ども、私が溺れてたとする。そしたら、友達は私を後回しにする。誰かの一番になれないってそういうことだよ」と言ったんです。いくら仲がいい友達でも、結婚相手のほうが優先順位が高くなる。恋愛や結婚とは、一番の人を作る作業だ、というのです。

男女間の友情に「ただの友達」という前置き、いりますか? 恋愛より格下扱いされる「友情」の尊さを語りたい_img0
 

これを聞いてから、考え込んでしまいました。この世は恋愛至上主義。絶対に人は人を(恋愛文脈で)好きになる、と多くの人が思い込んでいる。同性を好きになる性的マイノリティの存在が可視化されてきて、異性を好きになるとは限らない、という前提もだいぶ共有されるようになってきました。でも、「恋愛をしない」という多様性はまだまだ認められていない気がします。

世の中には誰にも恋愛感情を抱かない人もいます。そういう人は、一生誰にとっても「一番」になれないのか? そう思うと、なんだか果てしない気持ちになったりするのでした。

 

親友ができるのは「奇跡」であり、尊いこと


いつも寂しいなと思うのが、彼氏が出来たり結婚したりすると、疎遠になる友人がいること。何でも彼氏・彼女優先、夫・妻優先になる人っているんですよね。まぁ別れると、手のひらを返したように戻って来たりするんですけど。

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なんとなく、彼氏との約束は友達との約束より優先されるもの、っていう暗黙のルールってあるじゃないですか。彼氏が出来たら彼氏が一番、結婚したら夫が一番、みたいな。中には先に友達と約束していても、彼氏との約束を優先させる、みたいな人もいます。そういうとき、友達の立場として「うん、そっか。大丈夫だよ」と言うしかない。

やっぱりそういう秩序で世の中は動いているから、それに合わせて生きているのですが、どこか釈然としない思いを抱えています。

友情と恋愛は、どちらが上とか下とかではなくて、単に種類が違うものだ、と筆者は思うのです。違うベクトルなので、比べようがないのです。今まで触れてきたように、友情を育むのも維持するのも、絶え間ない努力と忍耐を要するもの。親友ができるのは奇跡なのです。どこか蔑ろにされ、下に見られがちな友情ですが、尊さは恋愛関係と変わらないと思います。


写真/Shutterstock
文/ヒオカ
構成/金澤英恵
 

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