父の司会で「おばあちゃん、お元気ですか。シアトルからの便りです。シアトルにはやっと春が来て、街路樹の緑も……」と、ちゃんとBGMも流しながら番組のように始まり、母、弟、私、とマイクを回し、それぞれ最近の出来事の話や学校で習った歌を披露した。テープの余った時間は、カラオケ好きの父が自分の歌で埋めたり、アメリカの曲をダビングしたり。滞在中何度かテープを作って、日本の祖母に国際郵便で送った。
それがとにかく楽しかった。何を話すかみんなで考えたり、「間違えたからもう一回」とかワイワイ言いながら作った。音楽もついて、まるで番組のようなパッケージにまとまる達成感も、子どもながらに嬉しかった。これが、私のFMラジオの原体験、だと思う。
2回目の海外生活で、高校生の時にカナダ・バンクーバーに暮らしたのだが、その時は「シアトルからの便り」を真似て、私ひとりで番組を作った。会えなくなった日本の友人たち宛に、学校での出来事や気になっていることなどのお喋りを吹き込み、間にカナダで流行っていた曲をダビング、「みっちゃんだらけ」と番組タイトルもつけて、郵送した。恋しい日本、恋しい友達、急に離れてしまった寂しさが、この作業で少し癒えた。
こんな風に育ったので、プロの「FMラジオのパーソナリティ」は憧れだった。NHKを退職して”今後やってみたい仕事リスト”の上位にもあった。だから、『Blue Ocean』のお話をいただいた時、「ついに夢が叶う!」と感激した。
しかし、プロのラジオの仕事はそんなに甘くなかった。
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