その後は、平日昼の、生放送の帯番組『
起きている間は常にゲスト資料と向き合った。家では帰宅した瞬間
番組が始まって2ヵ月ほど経った頃、
上司は率直なアドバイスとして言ってくれたつもりだったようだが、言われた私はショックだった。ようやくペースに慣れたばかり、やりがいも感じ始めていたのに、
しかし、働き方を大きく変えたいと思った最大の理由は、「時間」という観点だ。30代後半に入ると、体力が少しずつ落ち、前のように徹夜もできなくなる。1日、1ヵ月、1年と、時が過ぎるスピードが毎年加速する。したいことはたくさんあるのに、常に時間が足りない。
そんな時ふと、気づきが降ってきた。「サラリーマンは、業務の内容や質に関わらず、時間を切り売りしているんだ」。基本給の尺度は仕事の質ではなく、時間。質の高い仕事を効率よく、早く終えても、勤務時間が短くなるわけではない。1日8時間ないし8.5時間という規定の勤務時間を会社に捧げ、その見返りとして決まったお給料をいただいて生活しているのだ。文字通り、タイムイズマネー、時間をサラリーに換えていた。
毎日、起きている半分くらいの時間を売っていることになる。歳を重ねるごとに、
銭湯の脱衣所にある、20円で5分のドライヤーみたいだ。20円を入れた後、2分で髪を乾かす仕事は終わっても、タイマーはジジジーッと時間をカウントし続ける。ドライヤーは実働せずに時間を売っている。アレを見るともったいない、といつも思うのだが、何だかその感覚と似ていた。きょうはもっと色々なことができる時間もエネルギーも残ったはずなのに、勤務時間のタイマーがジジジーッと、カウントしている。
もちろん「お金(=お給料)」が担保されるのは本当にありがたいことなのだが、「時間」だって、同じくらい大事ではなかろうか。お金があっても、タイムオーバーになったら終わり。父が54歳で突然亡くなったことで、私は有限である時間の大切さを、より強く意識するようなっていた。
そうやって私は、お金の安定はないが、時間の采配が自分の手中にある、フリーランスという働き方を選んだ。
時間が自分の手に戻ってきて、長らくチャレンジしたいと思っていたことを行動に移すことができた。まず、ヨガ修行。カナダの山奥にある、シヴァナンダという伝統ある流派のヨガ・アシュラムに、1ヵ月間こもりにいった。毎日16時間ほどヨガの修練と勉強をし、講師の資格を取得。
ダンスカンパニー・コンドルズの本格的なダンス合宿に参加した。1週間踊りまくって、生きている中で一番酷い筋肉痛になった。
そして、『プロフェッショナル 仕事の流儀』をきっかけに友情が芽生えた、当時ロシアのボリショイ・バレエ団、初の外国人ソリストだった岩田守弘さんを訪ね、モスクワ・赤の広場での年越しも経験した。想像を超える寒さ。ロシアで室内芸術が発展した理由を体で理解する機会となった。
どれも、時間がたっぷり取れないとできなかったこと。そして、それぞれ、50代の今も、私という人間を形成する血肉となっている経験だ。
しかし、仕事面では、自分が想像していたのとは、まったく違った。15年以上働いてきた経験がゼロと思えるほど、
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