その後は、平日昼の、生放送の帯番組『スタジオパークからこんにちは』を担当することになった。観覧のお客様が毎日入る、50分間の公開インタビュー。しかも、日本を代表するような俳優や作家、文化人や時の人を日替わりでお迎えするので、毎日準備に追われた。


起きている間は常にゲスト資料と向き合った。家では帰宅した瞬間にテレビでDVDを再生し、食事中も家事中も作品をチェック。移動中の道や電車では常にゲストの本を手に開き、二宮金次郎状態だった。疲労で首筋を違え、激痛でベッドから起き上がれなくなった日もあった。それでも、好きなインタビューの仕事だからと、すべてを捧げる気持ちで取り組んだ。

番組が始まって2ヵ月ほど経った頃、がんばりを評価してもらえるかと思って臨んだ面接で、その時の上司に言われた。「スタジオパークのような、日中帯の番組を、住吉のような独身が何年も担当できると思わない方がいい。子育て中の人に充てやすい枠だから。この先どうしたいか、すぐに考えておいた方がいいぞ」


上司は率直なアドバイスとして言ってくれたつもりだったようだが、言われた私はショックだった。ようやくペースに慣れたばかり、やりがいも感じ始めていたのに、さっそく交代の話か。しかも、独身という、自分の努力だけではすぐに変え難い理由で。私の居場所は、どこにあるのだろう。先をどうしたいか、真剣に考え始めた。

「独身が日中の帯番組を何年も担当できると思うな」上司の言葉にショックを受けて...真剣に考えたその先のこと【住吉美紀】_img0
立ち上げから参加し、子どものように可愛い2番組のオフィシャル葉書は、今も大切にとってある。

しかし、働き方を大きく変えたいと思った最大の理由は、「時間」という観点だ。30代後半に入ると、体力が少しずつ落ち、前のように徹夜もできなくなる。1日、1ヵ月、1年と、時が過ぎるスピードが毎年加速する。したいことはたくさんあるのに、常に時間が足りない。

そんな時ふと、気づきが降ってきた。「サラリーマンは、業務の内容や質に関わらず、時間を切り売りしているんだ」。基本給の尺度は仕事の質ではなく、時間。質の高い仕事を効率よく、早く終えても、勤務時間が短くなるわけではない。1日8時間ないし8.5時間という規定の勤務時間を会社に捧げ、その見返りとして決まったお給料をいただいて生活しているのだ。文字通り、タイムイズマネー、時間をサラリーに換えていた。

毎日、起きている半分くらいの時間を売っていることになる。歳を重ねるごとに、業務を早く終えられた日も勤務時間に縛られるのが、もったいないと思うようになった。


銭湯の脱衣所にある、20円で5分のドライヤーみたいだ。20円を入れた後、2分で髪を乾かす仕事は終わっても、タイマーはジジジーッと時間をカウントし続ける。ドライヤーは実働せずに時間を売っている。アレを見るともったいない、といつも思うのだが、何だかその感覚と似ていた。きょうはもっと色々なことができる時間もエネルギーも残ったはずなのに、勤務時間のタイマーがジジジーッと、カウントしている。


もちろん「お金(=お給料)」が担保されるのは本当にありがたいことなのだが、「時間」だって、同じくらい大事ではなかろうか。お金があっても、タイムオーバーになったら終わり。父が54歳で突然亡くなったことで、私は有限である時間の大切さを、より強く意識するようなっていた。

そうやって私は、お金の安定はないが、時間の采配が自分の手中にある、フリーランスという働き方を選んだ。

時間が自分の手に戻ってきて、長らくチャレンジしたいと思っていたことを行動に移すことができた。まず、ヨガ修行。カナダの山奥にある、シヴァナンダという伝統ある流派のヨガ・アシュラムに、1ヵ月間こもりにいった。毎日16時間ほどヨガの修練と勉強をし、講師の資格を取得。

ダンスカンパニー・コンドルズの本格的なダンス合宿に参加した。1週間踊りまくって、生きている中で一番酷い筋肉痛になった。

そして、『プロフェッショナル 仕事の流儀』をきっかけに友情が芽生えた、当時ロシアのボリショイ・バレエ団、初の外国人ソリストだった岩田守弘さんを訪ね、モスクワ・赤の広場での年越しも経験した。想像を超える寒さ。ロシアで室内芸術が発展した理由を体で理解する機会となった。

「独身が日中の帯番組を何年も担当できると思うな」上司の言葉にショックを受けて...真剣に考えたその先のこと【住吉美紀】_img1
ロシア・モスクワの赤の広場で、バレエダンサーの岩田守弘さんと。

どれも、時間がたっぷり取れないとできなかったこと。そして、それぞれ、50代の今も、私という人間を形成する血肉となっている経験だ。

しかし、仕事面では、自分が想像していたのとは、まったく違った。15年以上働いてきた経験がゼロと思えるほど、うまくいかないことばかりだった。その話は、次回。

 

 

前回記事「「自分らしく働くためのトライ&エラー」を経て、天命の仕事に行き着くまで【50代の棚おろし・フリーアナウンサー住吉美紀】」>>

 
  • 1
  • 2