フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。

「番組が終わったのは住吉さんのせい」傷つきながら試行錯誤して行き着いた、50代の「自分働き方改革」【住吉美紀】_img0
 

37歳でNHKを退職してからのフリーランスの仕事は、自分が想像していたのとはまったく違っていた。サラリーマンとは違って、「時間」ではなく「質」のみで存在価値が問われる世界は厳しかった。しかも、その「質」が、自分がこれまで慣れ親しんできたものとは基準の違う「質」ばかり。正直、15年以上働いてきた中堅とは思えないほど、うまくいかないことばかりだった。

ありがたいことに、レギュラー番組や単発の仕事、テレビやラジオ、雑誌等、様々なオファーをいただいた。しかし、実際に取り組んでみると、求められることがそれまでの経験とあまりに違う上、どう対応すれば良いか教えてくれる人もおらず、悩むことばかりだった。

例えば、情報番組でスラスラとコメントができない。自分で取材をしていないことについて、アドリブで上手に話せない。情報も個人的な感想も、発言しようと思うと「ちゃんと情報の裏を取っていないのに言えない」「良し悪しをジャッジできるほど、色々な視点からの事実を比較できていない」「本当にそう言い切れるのか」など、発言を躊躇させるもう一人の自分が出現し、言葉が出なくなってしまう。

バラエティ番組でも気の利いた面白いことが言えない。パッと注目の的になった時に強烈な”華”を放てない。多少の自信があったインタビューの仕事ですら、「イジワルな視点がなくて、普通でつまらない」「無駄がなくて面白くない」と言われたこともあった。
 

 


NHKでは先輩に「中の絵が引き立つような、額縁になりなさい」と教わってきた。”Less is better”、つまり余分なものを削ぎ落とし、最小限のコメントと存在感で番組を進行した方がスマートという美意識があった。そんな感覚を職人のように磨いてきてしまったがために、絵そのものに急になれなかった。

「番組が終わったのは住吉さんのせい」傷つきながら試行錯誤して行き着いた、50代の「自分働き方改革」【住吉美紀】_img1
NHKで一緒に番組づくりをした出演者やスタッフは、今でも私の中で、家族のような存在。『プロフェッショナル 仕事の流儀』でご一緒した茂木健一郎さんもそのひとり。

また、しばらくして気づいたのは、周りが私に抱いているイメージと、自分で思う自分というイメージに、かなり乖離があるということ。例えば「NHK出身だからニュース番組を担当するのがいい」と当然のように思われていたり、「(堅い人なのに)ポップス音楽がそんなに好きだなんて意外です」と言われたり、驚くことしばしばだった。

考えてみればNHK内では、私が新人の頃からどんな仕事をしてきたか、どんな実績があるか、どういうキャラなのかを大体の同僚や上司が知ってくれていた。しかし、当たり前のことだが、一旦組織を離れると、誰も私の仕事史を知らないのだ。私にどんな実績や能力があるのかも、これなら任せられるという信頼も、人柄やキャラ設定も、すべてゼロからのスタート。いや、余計なイメージがある分、もしかしたら、マイナスからのスタートだったかもしれない。


そして、過去を知らずに、初期の現場でご一緒した方々には、新しい世界に適応できていない私はただのダメな人に映っただろう。なぜこんなに能力の低い人がフリーになったのだろう、と。

とっても寂しい気持ちになることがあった。仕事で落ち込んだり悩んだりしても、相談する同僚も先輩もおらず、アドバイスをくれるメンターもなく、ネコしかいない家で、ひとり途方に暮れる日が少なくなかった。

忘れられないほど、傷ついたこともある。私が司会だったとある番組が、短命で終了した(つまり打ち切りになった)ときの打ち上げ。私は疲れですぐに酔いが回り、一度眠りに落ちてしまった。どのくらい時間が経っただろう、意識が戻ってきたら、みんなの話す声が聞こえた。