「住吉さんが全然ダメだったよね」
「うん、もう少しがんばってくれないとダメだったよね」
「そうそう、トークが全然面白くなかったし」
「はっきり言って終わったのは住吉さんのせい」
「そもそもなんで住吉さんが司会だったわけ」
次々と出てくる言葉に、私はショックすぎて目を開けることができなかった。会がお開きになるまで、そのまま涙を堪えた。
しかし、諦めるわけにはいかない。生活もかかっていた。希望がないわけではなかった。生放送のラジオに心がときめいていた。共感しあえて、私に可能性を感じてくれるスタッフとの出会いもあ
不可抗力で、再びトライアンドエラーの日々が始まった。どういう仕事はまったく適性がないのか、
そして分かったことは、時間が自由になっても、やっぱり私は、自分が強い意義や使命感、縁を感じる仕事に、時間と魂を惜しみなく注ぎ込み、没頭したいということ。時間をかけずにちゃっちゃとこなせても、そこに意義を見出せないと、空虚で寂しい気持ちになるということ。中途半端にはできない。そして、誰と仕事をするかという、想いを共有できる仲間が大事であるということ。人生の有限の時間を使う価値有りと思える仕事と仲間に、持てる力の100バーセントを尽くしたい。納得度に迷いがあると、がんばれないのだ。
フリーになって14年、働き方を年々ブラッシュアップしてきた中で、特にコロナ禍の影響は大きかった。私は、
「人生の中でフルパワーで働ける時間って、思っていたよりも短いかもしれない」と感じるようになり、さらにシビアに、人生の時間と仕事について意識するようになった。そこで50歳を前にもう一段、自分なりの働き方改革を進め、所属していた事務所を離れた。
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