「住吉さんが全然ダメだったよね」
「うん、もう少しがんばってくれないとダメだったよね」
「そうそう、トークが全然面白くなかったし」
「はっきり言って終わったのは住吉さんのせい」
「そもそもなんで住吉さんが司会だったわけ」


次々と出てくる言葉に、私はショックすぎて目を開けることができなかった。会がお開きになるまで、そのまま涙を堪えた。

しかし、諦めるわけにはいかない。生活もかかっていた。希望がないわけではなかった。生放送のラジオに心がときめいていた。共感しあえて、私に可能性を感じてくれるスタッフとの出会いもあった。

不可抗力で、再びトライアンドエラーの日々が始まった。どういう仕事はまったく適性がないのか、どういう能力なら今からでも伸ばせるのか。どういう仕事にはやりがいや面白みを感じられるのか。今まで経験したことのない仕事に挑戦しながら、一から自分らしい働き方を再構築した。
 

「番組が終わったのは住吉さんのせい」傷つきながら試行錯誤して行き着いた、50代の「自分働き方改革」【住吉美紀】_img0
『プロフェッショナル 仕事の流儀』で出会って、付き合いが続いている方は多い。Spotifyで配信している『その後のプロフェッショナル 仕事の流儀』というポッドキャストで、隈研吾さんなど23人の方々と、15〜16年ぶりに対談。こうして細く長く続く貴重なご縁も、私にとって仕事の大きな喜び。

そして分かったことは、時間が自由になっても、やっぱり私は、自分が強い意義や使命感、縁を感じる仕事に、時間と魂を惜しみなく注ぎ込み、没頭したいということ。時間をかけずにちゃっちゃとこなせても、そこに意義を見出せないと、空虚で寂しい気持ちになるということ。中途半端にはできない。そして、誰と仕事をするかという、想いを共有できる仲間が大事であるということ。人生の有限の時間を使う価値有りと思える仕事と仲間に、持てる力の100バーセントを尽くしたい。納得度に迷いがあると、がんばれないのだ。
 

 


フリーになって14年、働き方を年々ブラッシュアップしてきた中で、特にコロナ禍の影響は大きかった。私は、まだワクチンもない2020年4月にいち早く罹患してしまい、中等症まで悪化、2週間入院した。高熱で「もしかして死ぬかもしれない」と感じる瞬間もあった。退院後は体力が激しく落ち、少し動くとすぐに疲れ、思うように働けない状態が8ヵ月ほど続いた。


「人生の中でフルパワーで働ける時間って、思っていたよりも短いかもしれない」と感じるようになり、さらにシビアに、人生の時間と仕事について意識するようになった。そこで50歳を前にもう一段、自分なりの働き方改革を進め、所属していた事務所を離れた。