ボロボロ泣いている過去の自分に会いに行く


2024年の真夏の花火を見ながら、私は11年前のロンドンを訪ねていた。ホテルの窓辺で怖い顔をしてボロボロ泣いている中年女の隣に立ち、鷲鼻の青白い横顔を見つめる。まだ髪が長い。冷えた髪を撫でてやりながら「つらいね慶子さん。頑張っているね。泣いても怒ってもいいんだよ。あなたはまだ知らないけど、この先の11年をあなたはそうやって苦しみながら、立派に生き抜いたよ。なんとこれからオーストラリア教育移住という大冒険に踏み出して、希死念慮や家族会議やエア離婚やコロナ禍や更年期を生き延びるんだから。それで2024年の夏には、日本で平穏な気持ちで遠くの花火を見ている。その頃には子どもたちはすっかり青年になっているよ。大丈夫だよ」と予言した。

夫に送った「大っ嫌い」のメール…「花火、一緒に見ようよ」と本心を言えない自分に52歳の今も傷つくけれど【小島慶子エッセイ】_img0
写真:Shutterstock

もちろん彼女は私に気づいていない。これから起きることを何も知らずに、人生を嘆いている。その通り、生きることは簡単ではないし、傷はなかなか癒えない。苦しいこともいっぱいある。そうでなかったらいいのにね。あなたの40代が、もっと能天気で心配事の少ない10年間だったら、52歳で打ち始めた眉間と目尻のボトックスも、もっと少量で済んだはず。そうだったらどんなによかっただろうと心底思う。けど、起きてしまったことはどうにもならない。だからせめてこの一人で泣いている40歳の慶子の横にいて、労ってやろう。骨ばった猫背の肩を抱き、耳元で「大丈夫だよ」と言ってやるのだ。見て、薬じゃ消せないこの深いシワは、あなたが全力で生きた痕跡。喋りすぎのショートカットのおばさんに抱きしめられているとも知らずに、慶子は泣きながら花火を見ている。私も一緒に泣いた。
 

 


数年前に、私はこうやって過去の自分に会いに行くセラピーを編み出した。天才かと思って知人のカウンセラーに話したら、実際にそういう療法があるのだそうだ。大抵のものは、賢い人がとっくに見つけている。でもまあ、私が自力で思いついたことに意味があるのだ。私にしか辿れない道で、そこに光をみつけたことが尊いではないか。

目の前の花火はいよいよ最後のクライマックスだ。やけっぱちみたいに夥しい数が打ち上げられ、雲が明るく照らされる。素敵なセラピーの仕上げに感動的なラストを目に焼き付けようと花火に集中した瞬間、電話が鳴った。こんな時間に、誰から?