いつもホッとした瞬間に、足元の床板を抜かれてきた


ソファに放り投げてあったスマホを取り上げると、夫だった。「メッセージ送ったけど反応がないから、大丈夫かなと思って」と、その割に呑気な声。倒れているんじゃないかと心配したようだ。実際、私は過労で自宅から救急搬送されたことがある。夫のメッセージを読むと10分前に「長男は今夜は友達と出かけています」。5分前に別のアプリで同じ文言。夕食時に息子とビデオ通話を繋ぐ習慣がある私に知らせてくれたらしいが、緊急性ゼロだ。

「今、花火見てんの!」と言って切った。ロンドンの慶子は消え失せ、窓に目をやると、花火はほとんど終わっていた。またこれだ。夫は本当に間が悪い。いつもいいところでカットインしてくる。私が自分の世界に没入している時に限って、それをぶち壊しにやってくるのだ。実家の母もそうだった。しかもいつも、どうでもいい用事で。

夫に送った「大っ嫌い」のメール…「花火、一緒に見ようよ」と本心を言えない自分に52歳の今も傷つくけれど【小島慶子エッセイ】_img0
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中学生の時に渡辺謙に惚れていた私は、大河ドラマ『独眼竜政宗』の時間は異常な集中力でリビングのテレビ画面に見入っていた。だがいつも一番いいところで母が来て、話しかける。その時はとんがりナイフの思春期ガールだったので、明確な殺意すら覚えたものだ。
 

 


今も、そのスイッチは健在だ。またこれかよ! あたしの人生はいつもこうなんだ! と、くすんだ黒地に戻った夜空を睨んだ。光速連想のスイッチが入る。脳内検索マシーンに「夫・カットイン・台無し」と入力すると光の速さでエピソードが出てきて、自動筋書き機能で全てがひと繋がりの物語になる。結婚して子供を産み、ようやく穏やかな幸せを手にしたと思った瞬間に、やつが事件を起こして私は病んだ。他にもあの時も、この時も……いつも、困難が去ってホッとした瞬間に、足元の床板を抜かれるのだ。ちょうど幸せに浸ったその瞬間に! 狙ってやっているとしか思えない。ところが本人はそんな自覚はなく、私のせいにしてみたり他の何かのせいにしてみたり。

やがて光速連想は夫の生い立ちにまで及び、彼と彼の周囲の人々と彼が育った環境全てがどうかしているという結論になる。で「そもそもあいつと出会わなければよかった」と思うのだが、困ったことに私の人生で最高に面白くて素敵な息子たちという存在には、生物学的親子ゆえ夫が深く関わっているのだ。夫と出会わなければ、息子たちには会えなかった。すると自動筋書きマシーンは「いや、もし夫以外の人と番っていても、息子たちには出会えたはずだ。なぜって体は今と違っても、魂は同じだから」と整合性をつけてくれる。そして「あいつと出会わなければ、きっと私は素敵な夫と大好きな息子たちと、もっともっと平穏で幸せな人生を生きていたはず!!!」と恨み節を炸裂させるのだ。

「大っ嫌い」と私は夫にメッセージを送った。「あなたの全てが、ずっと昔から大っ嫌い」送りながら、大好きだったことがあるような気がした。でも気のせいかもしれなかった。