「幼稚園児のような娘の育ちはとてもゆっくりです。特別支援学校のほとんどは高等部(=18歳の年度末)までですが、その後すぐに社会に出ることは娘にとってはかなりの負担となりそうで、二次障害も心配でした。

そのため、中等部、高等部のあとも学び続けられる、そんな学校を探しました」

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「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。

障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。

この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第15回です。


第14回はこちら>>>​小3までだった「短時間勤務」。その延長が、会社の制度として認められるまで【障がい児を育てながら働く⑭】
 

 


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—— 前回は、工藤さんの仕事について、会社で短時間勤務の延長が認められるまでのお話を伺いました。今回は娘さんの進学についてお話を伺わせてください。娘さんが通っていた愛育学園は、小学部までしかありませんでしたよね。

はい、そのため小学校卒業後の進学先を探さなくてはなりませんでした。一般的に特別支援学校は高等部までしかないのですが、その先も学べる学校はないものかと調べていました。

小学部までしかない特別支援学校を卒業したら、次はどこに進学したらいいの…?【障がい児を育てながら働く⑮】_img0
小学校4年生のころ。海が好きな娘のために、海沿いにある横須賀美術館を家族で訪れました。

幼稚園児のような娘の育ちはとてもゆっくりです。特別支援学校のほとんどは高等部(=18歳の年度末)までですが、その後すぐに社会に出ることは娘にとってはかなりの負担となりそうで、二次障害としての自傷行為の悪化が心配でした。