これも、想像と違っていた。まず、あまりに互いの専門が違いすぎて「こうすべき」
さらに、夫と私が似たもの同士ではなく、
これら、放置しておくと不一致に繋がりそうな違いが、仕事では逆に活きた。経理的なことは夫、対外的な言葉の表現は私など、仕事の分野を超えて助け合い、弱みをカバーし合えた。夫婦というより、暮らしとビジネスを共に背負う”人生チーム”となった。
さらに。私は、作家の平野啓一郎さんの唱える「分人主義」という考え方に共感している。簡単に言うと、人は、人間関係ごと、社会環境ごとの人格を持っていて、それを無意識に切り替えて暮らしている、というもの。家族には家族といるときに出てくる私がいて、義理の家族にはまた別の私だったり、職場には職場の私、この友達グループの時はこんな私、お茶の稽古場での私、あるいは英語を話すときに出てくる私など、
しかし、結婚して、
仕事の現場では、言動がパキパキとしていて、人見知りせず、
最初は、こんなに変わる私を見せるのが少し恥ずかしいという気持ちもあった。「仕事の時はあんなに格好つけちゃって」と思っているかな、とドギマギもした。しかし、夫は驚いたり引いたりすることはなかった。「それも美紀の一部」と、何も言わず淡々と受け入れた。
そもそもがこんな風に「いろいろな自分」について細かく考える人の方が少ないかもしれない。私がなぜここまで考えるようになったかというと、生ラジオの仕事のせい。「ラジオパーソナリティとして出てくる私」と向き合う覚悟が必要だったのだ。
Comment