生ラジオ、ひとり喋りでは特に、”パーソナリティ”という職業名の通り、選ぶ話題や言葉遣い、話し方や声色、メッセージが来た時にどんなリアクションをする性格かなど、人格を120%出して、フリーにトークをする。それが思いっきりできてこそ、聴いていて共感する、面白いパーソナリティになれる。
しかし、ラジオは聴く人を選べない。リスナーに向けて、ラジオパーソナリティ用の自分を全面に出しているのに、こちらの思いと関係なく、たまたま家族が聴くこともあれば、幼馴染や昔の同僚、よく行く店の店員さん、あるいはとても尊敬している方(つまりいつもは借りてきた猫の私にしか接していない方)も聴いてくれてしまったりするのだ。「聴いたよ」と言われ、内心「あちゃー」と思う日もある。
そんな生活を13年弱してきたおかげで、人間関係を超越した「私」とはどんな人か、恥ずかしさを乗り越えて出したい「私」はどれなのか、と自分を振り返る癖がついた。
話を戻すと、夫は、そのどんな私が出てきても怯まず、「妻」に戻った時の、ダメなところもある、ふざけるのが好きな私もまた、受け入れ続けている。一番近くにいる人のこの態度は、ストッパーをかけずに、思い切り「自分らしい人生」を送る上で、とても大切なことである。そして、この夫の態度のおかげで、ラジオパーソナリティとしても一皮剥け、より腹を括れるようになったと感じているのだ。
そして、最後にもうひとつ。この考え方は、結婚そのものにも活きる。なぜなら、「パートナーといるときに出てくる私」が、「自分自身が好きな自分」であれば、幸せなのだ。だって、好きな自分といられる時間が確保できるのだから。
人は得てして、結婚相手を選ぶとなると相手のことばかり、性格だ仕事だ条件だと見極めようとするが、そうではない。むしろ、その相手といる時の、自分のほうを見極めなくてはならない。この人が触媒となって出てくる自分は、「なりたい自分」なのか。そもそもなりたい自分とはどんな自分なのか。まず自身を知ることが必須だ。
私は、無難で済ませようとする自分は嫌い、取り繕う自分も嫌い。正直な自分が愛しい。計算して行動する自分ではなくて、感じたままに振る舞える自分でいたい。そして、とにかくユーモア優先の自分が好き。スマートで素敵、よりも、変顔をしたり、ドラマの台詞の真似をしてみたり、アホなダンスをしたり、一見意味のないふざけたことを楽しんで、たくさん笑っている自分と暮らしたい。
夫の前ではこのような、いわば「7歳の頃の奔放な私と地続きの自分」を出して日常生活を送れている。50代にもなって、7歳の自分と繋がれているなんて。いい線行ってるんじゃない。You’re on the right track!
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