バカ差別をするのは男性が多い?
ルッキズムという言葉が浸透し、「デブ」「ブス」というイジリが公共の電波ではしづらくなった一方、「バカいじり」はいまだに平然とされているようにも思います。
酒井氏は、バカ差別ブームの起源として、2003年に『バカの壁』(養老孟子)が大ヒットしたことをあげています。その後「バカ」を冠した本が次々に刊行され、「バカ本ブーム」が到来したことが、「バカ」という言葉を流行らせ、言いやすくする布石になったのではないか、というのです。
また、酒井氏がバカ差別をするのは男性が多いと述べている点も興味深いです。
(『消費される階級』酒井順子著、集英社)
女は若さ、男は学歴・年収なんて言われることもありますが、男性中心社会では競争の要素として頭の良さは強く意味を持つものなのかもしれません。
酒井氏はバカ差別が容認される理由を、次のように考察しています。
『消費される階級』(酒井順子著、集英社)
そもそも「頭が良い」って何だろう?
筆者は、「頭の良い人がそうではない人の上に立つことによって社会が進歩していくこと、脳力の高い人が脳力の低い人を支配すること」はバカ差別ではない、と思います。
頭の良い人、脳力が高い人、とはどんな人か。それを言い表す方法はたくさんあると思いますが、社会では「学歴」がその指標として機能しているように思います。なぜ頭の良い人、脳力が高い人が上に立つことがバカ差別ではないのか? を考えていく上で、学歴の意味を捉え直す必要があります。
今の社会では、「学歴」の本来の意味がねじ曲がって伝わってしまっている、と感じることがあるからです。例えば、モテや結婚の条件、社会的ステータス、新卒一括採用のカード、など。それらはサブ的なオプションであって、本来の学歴の意味って、その人の学力(IQまたは脳力とも言い換えられるかもしれません)を客観的にはかる指標であり、それを証明するものだと思うんです。
「勉強する意味って何?」という質問は、大人・子ども問わず聞こえてきますが、その問いについて考える出来事を高校生のときに経験しました。プレゼンの大会があり、準備しているときに、台本作りが煮詰まってしまい、途方に暮れて、学年一の秀才に相談したんです。すると、こちらの悩んでいるポイントを一瞬で汲み取って理解し、筋道を立てて、ものすごくスマートに解決策を提案してくれたんです。その子はのちに東大に現役合格するのですが、頭が良いとはこういうことだ、と学んだのです。
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