「それなら俺たちが谷川に帰るよ」
息子がそう言ってくれた矢先の出来事でした
ここでは、朝起きて、お店を開けてお客さんを待って散髪をして、合間に畑仕事をしてね、お友だちとお茶を飲んでおしゃべりをして。「あぁ、今日もよく働いたなあ。おしゃべりもしたなあ、楽しかったなあ」なんて思って、一日を終えるんです。
50年以上そうしてきましたからね、そのくり返しがわたしの人生です。
わたし、あまり余計なことを考えないから、ひとり暮らしが寂しいと思ったこともないんですよね。そりゃあ息子たちとにぎやかに暮らすのも楽しいでしょうけど、わたしはひとり暮らしでもよくて、いつもの毎日が一日でも長く続くといいなあ、とだけ考えていました。テレビはあまり見ないほうで、時間があるときは新聞を読んでいました。ゆっくり新聞を読む、そんな時間を過ごすのも好きでした。
修業時代から、結婚して疎開して戻ってくるまで10年以上は東京にいましたけれど、それ以外はここで生まれて育って、ずっと暮らしているんです。空気もいいし、水もおいしい。近所の人も長年知っている人ばかりで安心です。落ち着きますし、勝手知ったるというか、離れ難くて。やっぱりここがいいんです。
それで、わたしが「宇都宮には行かない」と言い続けていたものですから、息子がとうとう折れまして、「それなら俺たちが谷川に帰るよ」と言い出しました。そんな矢先だったんです、骨折したのは。
干していた洗濯物を取り込んでいて、まずお店で使うタオルを取り込み、部屋の入り口にポンと投げておいたんです、次に自分の衣類を取り込んで抱え、部屋に入ったときに、タオルに足を引っ掛けてそのまま滑って転んでしまって、脇腹を強打しました。「やってしまったー」と思いましたね。おでこも丸く擦りむいて。たまたま息子が帰ってきていて、庭で草刈りだったか、畑を耕運機でならしていたか、そんなときでした。
それで救急車を呼んでくれて病院に運ばれまして。レントゲンで診てもらったら「肋骨が2本折れている」と。もうがっかりでしたね。幸いにも骨折は順調に快方に向かいました。「付きがいい」っていうんですか、お医者さまも「この年でこの回復力はすごいね」と驚いてくれました。
この一件があって「これからもひとりで暮らしたい」とは大きな声で言えなくなりました。「老いては若いものに……」と言っても息子ももう80歳ですけど(笑)、観念しまして、息子夫婦と同居することを受け入れました。それに伴い、お店の部分を少し狭くして、息子たちの部屋を増築しました。
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