1980年代の韓国人小学生に衝撃を与えた『ギンギラギニ』(≠『ギンギラギン』)

 

そんな時代に、当時韓国でひそかに大流行していた曲が『ギンギラギンにさりげなく』でした。

筆者が旅行で訪れたソウルで聴いたのは、1990年夏のこと。ソウルの学生街・新村の地下にあったロックカフェ、今でいうところのクラブのような場所でした。バラードに合わせてスローダンスをしていた若者たちが、『ギンギラギンにさりげなく』が流れると一斉に立ち上がり、激しく踊り始めたのです。サビでは、声を合わせて大合唱。その日流れた唯一の日本の曲が『ギンギラギンにさりげなく』。一番盛り上がったのも『ギンギラギンにさりげなく』でした。

MBCやKBSなどで放送作家をつとめるイ・スンヒさん(50歳)によると、1980年代前半から広く流行っていたといいます。
 

 


「小学生の頃、同じ家に住んでいた20代半ばのいとこたちが、カセットテープで『ギンギラギニ』をかけて踊っていたのを覚えています」

『ギンギラギニ』という謎のタイトルで呼ばれるのはなぜか。ハンギョレ新聞キム・ドフンさんのコラムに、その背景が記されていました。

「1980年代の小学生たちは『ギンギラギニ』を歌った。ある日突然、子どもたちが日本語の歌を歌い始めたのだ。間違えずに歌えたのは『ギンギラギニ』というフレーズだけだった。当時韓国の歌謡曲にはダンス曲といえるものがなかった。だから、1980年代の小学生にとって、『ギンギラギニ』がいかに衝撃的だったのか、想像してみてほしい」
 

ナイトクラブのDJが人気の火付け役、海賊版カセットテープで大衆に拡散


韓国における『ギンギラギンにさりげなく』のルーツを、キム・ホンギさんはこう分析します。

「火付け役のひとつは、最先端のものに敏感なナイトクラブのDJだと思います。アンダーグラウンドなもの、タブーなものへの欲求があった。クラブは、やってはいけないことを密かに愛好する、コミュニケーションの場のようなものだったから」

1980年代の韓国といえば、光州事件に象徴される軍事政権下で、映画や音楽なども検閲されていた時代。そんな世を生きる若者たちの間で、アンダーグラウンドなポップカルチャーとして愛されたのが、『ギンギラギンにさりげなく』だったのです。

さらに多くの人が聴くきっかけとなったのは、海賊版のカセットテープだったといいます。学生街や繁華街では「日本最新歌謡」とプリントされた海賊版カセットテープが路上のリヤカーで売られていました。安全地帯や五輪真弓、そして近藤真彦や松田聖子の曲も含まれていました。
 

キム・スヒョンも「母にすすめられて選んだ曲」として『ギンギラギンにさりげなく』熱唱
 

ドラマ『涙の女王』で人気のキム・スヒョンの公式Instagramより。今年6月に横浜で行われたファンミーティングの様子。『ギンギラギンにさりげなく』や米津玄師の『Lemon』などを熱唱

今年、日本で開催されたファンミーティングで『ギンギラギンにさりげなく』を歌って会場を沸かせた俳優のキム・スヒョンは、『徹子の部屋』出演時に「母にすすめられて選んだ曲」と話していました。

もしかするとキム・スヒョンのお母さんも、1980年代にマッチの歌に熱狂したひとりだったのかもしれません。

(後編へつづく)


取材・文/桑畑優香
構成/露木桃子
 

 

NewJeansハニの『青い珊瑚礁』、マッチの『ギンギラギンにさりげなく』...地上波TV放送NGでも韓国でJ-POPが愛される特殊事情_img1
 
 
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