死の恐怖を払拭するために
ーー無名塾で培った勉強精神が、そこで活かされたんですね。
赤間:怖かったですよ。死ぬんだろうなと思っていたので。その恐怖を払拭するには、やはり自分がこの病気をしっかり受け止めて、理解しなくてはいけない。人任せにせず能動的に動くことが出来れば、向き合い方が自ずと分かってくるはずだと考え、フォーラムや勉強会にも申し込んで行きました。結果、主治医とは対等な立場で、詳細な事柄についても話ができるようになり、この数値の場合でも、この治療本当にいりますか? といったように臆せず話ができるようになりました。
ーー心の支えになったものはありますか。
赤間:最初はふとした瞬間に涙が溢れてきたり、夜な夜な泣いたりしていました。子どもたちの将来を見れないんだ、可哀そうだなこの子達って。でも、いつまでも泣いてばかりはいられない。強くならなきゃ、と踏ん張れたのは子どもの存在があったからですね。
子どもも他人
ーーバレエ留学をされている息子さんとのエピソードがVoicyに出てきますよね。子育ては何かしてあげるより、してあげないこととおっしゃっていましたが、そう思ったきっかけはなんだったんでしょうか。
赤間:私も親をするのは初めてだから、きっとこれが幸せなんだろう。とか、これが正しいんだろうと思って、子どもの意思とは関係なく引っ張って行こうとしていました。それでも次男は親の言うことを聞かない意志の強さがありました。
私が引っ張ると絶対に違う方向に行くんですよ。周りのママ友に次男の悪い噂話をされるのが恥ずかしかったり、学校からクレームが来て、謝りに行くのがストレスで「あなたはどうして、そういうことをわざわざするの!」って理由も聞かず頭ごなしに言ってしまっていたんですが、そんな戒めや説教をしたところで、いい方向に行くことなんて、一度もありませんでした。
ところが、彼がバレエを始めて、尊敬する先生や先輩に出会ってから、ガラッと変わったんです。先生の言うことなら何でも素直に聞いたり、体調不良で学校を休んでもレッスンにだけは行くなど、これまでの不貞腐れた生活態度からは想像できないくらい生き生きと自分の道を歩きだしたんです。その姿を見て、親のできることって本当に少ないんだなって感じたんです。機嫌よく行ってらっしゃい、と送り出し、機嫌良くおかえり、と出迎える。そして、温かいものを食べさせる。それぐらいだなって。あとはもう、社会に育ててもらう。
子どもはひとりの自立した人間であって、ある年齢を越えると、親の視界内で学ぶ事は少ない。社会で嫌な目にあって、彼自身が恥ずかしい思いをして、また同じことを繰り返さないためにどうするのかって自分で考える。そうやって自力で成長する。親ではなく、先生だったり先輩だったり、自分が認めたかっこいい友達だったり。親以外の誰かに影響され成長していくんだなと。彼を見て思ったんです。彼は誰よりも早く自立しましたね。
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