フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。

50代以降、私にとって欠かせないファッションは間違いなく「着物」。一生着ないと思っていた自分を180度変えた着物のすごさ【住吉美紀】_img0
 

もしも「50代以降、自分にとって欠かせないファッションは」と聞かれたら、間違いなく「着物」と答えるだろう。大好きなお茶の行事でも、パーティでも仕事でも、ここぞという場面で必ず頼りになる。 
と、かく言う私だが、10年ほど前までは「この先、着物は一生着ない」と思っていた。むしろ苦手で、興味もゼロだった。今考えても、この180度の変化は凄まじい。

50代以降、私にとって欠かせないファッションは間違いなく「着物」。一生着ないと思っていた自分を180度変えた着物のすごさ【住吉美紀】_img1
すっかりファンになった、人間国宝の染色作家、稲垣稔次郎の型絵染の訪問着で。色合いも、柄のテイストも、最高に好き。

変化の最初のきっかけは、ラジオの取材で、呉服と和小物を扱うお店「銀座いせよし」に伺ったこと。明治元年創業の銀座の老舗呉服店「伊勢由」の三女として生まれた千谷みゑさんが開業したお店だ。

正直、気が進まなかった。着物に対する強い苦手意識があった。
海外で、着物に縁遠い環境で育ったのも一因。「わからない」が多すぎて苦手だった。それまでに着物を着た機会も、成人式、NHK紅白歌合戦の総合司会の時、音楽特番の司会の時と、数えるほど。その特番のリハーサルでは、帯が苦しくて気持ちが悪くなり、危うく本番に支障が出そうになった。その時からはっきりと「着物は嫌い」と思うようになってしまった。

 

しかし、取材でお店に入って数秒で、アレ? と私のアンテナが立ち始めた。展示されていた反物の色柄が、私がそれまで見たことがある着物とまったく違ったのだ。着物というと、全体が淡い色や渋い色で、裾に草木など控えめの絵柄が入っているものというイメージ。確かに綺麗だけれど私の趣味には合わない。

しかし、千谷さんのお店に並んでいたものは、パキッとしたビビッドカラーや濃いパステルカラーが多く、絵柄も、イラスト風のポップなタッチから、モダンで大胆な模様まで、私が普段から好んで洋服や持ち物に選ぶテイストそのものだったのだ。

そして、取材で伺った千谷さんの話が、意外な内容ばかりだった。
千谷さんは老舗の生まれではあったが、若い頃は着物よりも「留学したい」という夢があり、実際にアメリカに留学、卒業後は外資系の銀行、シティバンクに入社した。31歳にして、銀座支店の支店長に抜擢され、洋服にヒールでバリバリと働いていたが、その頃、気持ちに変化が。

銀座の商売の方々と仕事でお付き合いするうちに、長く続く実家の商売の素晴らしさに改めて気づいたのだ。そして、一念発起、着物の世界に入る。その後、若い人や初心者の方々も気軽に入れる”着物屋さん”を目指して独立、「銀座いせよし」をオープンしたと言う。