お盆は父の生まれた場所へ。
私のメンター、祖父の思い出
帰省した方、旅行された方、自宅でのんびりの方、仕事されていた方。みなさま、どんなお盆をお過ごしでしたか。
私は、長野にある父の実家に数日ステイ。もう誰も住んでいないのですが、幼い頃、休みになればすぐに、遊びに行っていた場所なので、やはり思い出は蘇ります。5歳になると、母が上野から浅間→長野オリンピックのタイミングなので特急あさまに乗せてくれ、1人で行っていました。
2時間半くらいだったと思いますが、まだ幼稚園児をよく1人で行かせるよねぇ。と、遠い目に。まだまだ、人との距離が近かった時代。隣に座るおばあさんやお姉さんに、「この子◯◯駅で降りるのでお願いします」と母が一声掛けてくれ、すると、間違いなくみかんをくださったり、チョコレートをくださったり。ひらがなの駅名を読み上げると、「まあ、偉いねー」などと、言葉を尽くして褒めてくれ、三人姉妹の長女で、なかなか家では甘えられなかった私は、この小旅行をどれだけ楽しみにしていたか。みなさま、お世話になりました(笑)。
最寄りの駅に着くと、祖父母がバスで迎えに来てくれていて、駅の近くでランチをして家に向かうのが恒例でした。
この祖父、長く国語の教師をし、さまざな学校で校長先生をしていました。最後は教育長になり、とにかく勉強熱心、好奇心旺盛な人。70歳を過ぎて、単身世界一周旅行に出かけ、亡くなる間際まで英字新聞を隅から隅まで読んでいました。
厳しいけれどリベラルで、たくさんの話をし、一時期は頻繁に文通もしていたほど。 高校生の時、アメリカに留学すると決めた時も、ためらう父母より先に応援してくれたのは祖父でした。大学の進路や、雑誌の編集者になりたいことなど、手紙だったり、遊びに行ったときに、たくさんたくさん話しました。
残念ながら、私が21歳の時に亡くなったのですが、また今年、子供達や夫を連れていけたのはよかったです。祖父をずっと支え続けた祖母→とにかくおしゃれな人でした。共に、墓前に手を合わせ、お盆らしい日を過ごさせてもらいました。
これからも、この幸せな日が続きますように。
なんか、お盆って良いですね。
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