2015.6.5

mi-mollet Short Story
十年後のマグリット


*毎週 または ほぼ毎週金曜日に ショートショートをお贈りさせていただきます。
*この物語はフィクションです。  

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「こないださあ……新人の前園ちゃんに、こわいって言われちゃった」
「だってコワイじゃん」
「え?! そんなこわい?!」
「そうだよ。四十で、独身で、ちょっと貫禄もあって、しかもこんなとこで煙草吸ってて……」
「まぢ……?!」

会社のビルの外側についている非常階段で、江崎ともえは、同僚で3こ下の橋口美紀を横にタバコをくゆらしている。美紀はタリーズコーヒーのソイラテを飲んでいる。美紀は中途採用で2,3年前に入社してきた。

「怖いって、直接言われちゃったわけ?」
「直接じゃないけど……2Aの会議室に忘れ物して戻ったら、そう話してんのが、ちょっと聞こえちゃってさ」
「それ、相当こわがられてるよ。あれ? タバコ替えた? 女子でハイライトはないんじゃないの?」
「え、そう?」

ともえには銘柄はあまり関係なかった。ぷはーっ! とやって、それがつかの間の気分転換だった。しかもハイライトは中では値段が安い。

ともえは、六本木にあるIT関係の会社でインターネット通販を促進させる部署の部長をしている。いわゆる小売店がネットでも上手く販売ができるようにし、ホームページの作成から販売、宣伝までをサポートする事業を手がけていた。

日進月歩する技術をおもしろがりながら、このままでいいんだろうかという漠然とした不安はずっとぬぐえなかった。

従業員の平均年齢は34歳。優秀な人材はどんどんと抜けていっていた。ともえもそうしてもよかったが、結局それをする勇気がなく今に至っている。

 

「真面目なんだよな、結局ともえセンパイは」
「は~?」
「だってそうじゃない。そうやってバリバリやるのは、真面目すぎんだって」
「真面目にやんなきゃ、しょうがないじゃない、仕事なんだから」
「ゆとりとか、隙もないと、こわがられちゃうって」

ニヤニヤと笑っている美紀。結婚しているが、子供はまだいない。

「たばこもさあ、文化っていうか、たばこ吸う人同士が集まって話し合えたり、おもしろいとこあるけど、こんなにたばこ人口少なくなってさあ、しかも非常階段、一人女がハイライト……そりゃ、こわいってハハハ」
「これも私なりの、ゆとりなんだけどな……」
「入れない。入れないって、こういうの……私はたばこ辞めた人間だけど、雰囲気わかるからこうやってできるけどさ」

笑っている美紀を見ても、ともえは黙って受け流した。

「そういや、ともえセンパイ、いい人いないの?」
「いない」
「そっか……でもその願望はあるんでしょ?」
「そりゃあるある! でもこの年でがっつくのも、ここんとこどうかなって」
「だからハイライト?」
「イヤ、そういうわけでは」

ともえも思わず苦笑いをしてしまう。非常階段の隙間から見える青空にタバコの煙が流れていく。

美紀と話すうちに、今日は早退しちゃおうか?! という話になり、二人で抜け駆けすることにした。仕事があるのはわかっている。けど、たまにはいいんじゃないかって。非常階段でくすぶってるより。

明るいうちから、美味しいものでも食べて呑んでしちゃおうか、という話しになったが、通りすがり、最近始まったあの展覧会が気になった。国立新美術館でやっているマグリット展。近くだし、ちょっと行ってみる? と、ともえは美紀に声をかけた。


あれから10年か……と、ともえは思った。10年前にも神奈川でマグリットの展覧会がやっていた。そのときいっしょにいった男は、当時付き合っていた男。結婚する人と思っていた。彼はマグリットが好きだった。何度か足を運んだ神奈川。けれど、その後ともえはその彼と別れた。彼は別の人と割合すぐに結婚したと聞いた。


覆面をしてキスをしている男女の絵。―――
こんな状態だったのだろうか。
相手を見ているようで、なにも見ていない二人。

正直ともえはさほど絵に興味はない。以前からそうだった。マグリットも既成概念を覆されるようなおもしろさはあるものの、好きとまではいかなかった。街灯がついて暗い街のようなのに、青空だったり。

けれど、彼のために、わかりたかったし、好きになろうとした。図録を読み込んだりもした。美術って、こんなものなのかな、小難しいのかな、と漠然と感じていた。


当時カタログなどで読んだことはほとんど覚えていなかった。
絵はなつかしい、という感覚で見ていた。



「ともえセンパイは、マグリット好きなの?」

展示会場で、ともえは美紀に話しかけられた。

「え、まあ。なんとなくおもしろくない? ちょっとひねくれてる感じっていうのかな」
「私はわかんないなー。シュールすぎるっていうか、結局ファンタジーっていうか、なんというか。なんて、美術ってもっと深いのかもしれないけど」


見えている光景が本当は見えていないようにも映る「白紙委任状」という作品や、弁証法礼賛といった家の絵。マグリット本人が作品に対してことばを残していたりする。

けれど果たしてそれがその作品の本性を突いているかはわからない。

「僕はこう思うけど」という作者のこだわりというか、どこか観客を突き放しつつも巻き込むような手法が、脳みそをくすぐる感覚に落とし込む。


「こういう感じ好きなんだよな。マグリットって」
「そうなんだ……」


ともえはあのとき本当は、彼に「わからない」と言えばよかったのかもしれない。無理にでも話を合わせたかった。合わせていた。
結婚もしたかった。逃したくなかった。合わせることがよいかわからなかったけれど、「わからない」と言って嫌われたくなかった。

 

「空の鳥」という、鳥の表面に青空に白い雲が浮かぶ絵を見ながら、どこか自分と重ねてしまった。当時は気づかなかったけれど、自分が自分ではなく、周りにあわせてしまっているような……

とはいえ、マグリットはそういうことが言いたくて描いたかどうかもわからない。
当時は単純にこの絵が好きだったな……でも、彼は「俺、これダメ」と言っていたことを思い出す。


彼と別れた理由は「ごめん。好きな人ができたんだ」と言われたことだった。

彼の横顔。笑顔。銀色の細めのフレームだった眼鏡。華奢なようでいて、ともえよりは大きかった手。ともえは背が低いからいつも見上げていた彼の肩。好きすぎてどこかいつも緊張してしまっていた自分。よく見せようとしていた自分。マグリットが好きでもないのに、好きであろうとした自分。


別れるときも、かっこ悪さを見せたくなくて、「うん、わかった」とあっさり言ってしまった。けどあの後、相当落ち込んだ。過食症になったこと。引きこもりぎみになったこと。あの頃、周りの女友達は結婚した人も多かったし、焦ったり、取り残されたような気分でもあった。


わかっていたのかもしれない。結婚する相手ではないことも。けれど、今なお思い出す男人。あれから、特段付き合ったという人もあまりいない。もらった指輪もまだとってある。

 

展示が終わり、売店のあたりでぼんやりはがきやグッズを見ていた。ベルギービールなんてのも売っている。


「10年前と同じだった?」

数枚のはがきをもった美紀に声をかけられ、ともえはどこか現実に戻った気がしてほっとした。


「ああ、まあね。今回すごく作品が揃ってたとおもう」
「どの絵がよかったとか、変わることない? 感じ方がかわるっていうか」
「そうだねえ……またゆっくり来てみようかな……」
「ええ?! そこまで好きなの、マグリット?! それとも、あれ? なんかいわく付き?」
「どういう意味?」
「絵を見てるんじゃなくて、ホントは思い出に浸っちゃってるパターン? 昔の男とか? フフフ」


笑っている美紀に、ともえは思わず睨んで吐き捨てた。


「わかったようなこと、言わないでよ」


あ……ごめん、と、ともえは後から取り繕うように冷静を装うも、美紀はまずかったことを察し、「ちょっとこれ、買ってきます」とはがきを見せてレジに向かった。

生理前だったこともあるのだろうか。怒りを露にしてしまった自分を恥じた。
絵を見ながら、実のところ私は何を見ていたんだろう……

その後、美紀とは近くの居酒屋へいくものの、なんとなく表面的な話をして、早めに呑みも終わらせてしまった。


帰り際、美紀に声をかけられた。

「ともえセンパイ」
「ん?」
「いや……なんでもないです、おつかれさまでした」

にやっと笑って軽く手を振る美紀が、地下鉄の出入り口の階段を下り、暗くなっていく。


帰りの電車が違う方向でよかったとおもった。

後輩に気を遣わせたこと。
弱いのに、弱さを出せない自分。もうこの年だし、弱さを出しづらくも感じる。出していいのかもわからない。

年齢や身体ばかりが大きくなって、不恰好に見える自分が、情けなくて情けなくて、仕方なかった。―――――


 

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