パラダイムシフトの今、「美の価値観」を刷新し続けてきた美容ジャーナリスト齋藤 薫さんが、注目したいある視点をピックアップします。

 


老いていく母親に、口うるさい鬼娘


母親とは、何者なのでしょう。10歳まではまさに“女神”のような存在なのに、その後は“口うるさい鬼母”になり、やがて“親友”のようになれたのに、だんだん“困った存在”になっていって、でもさらに年齢を重ねると、逆に“娘のように”思えてきて………。

おそらく母親にとっては永遠に、娘は娘に他ならないのに、娘にとっての母親は、年代とともにどんどんその正体を変えていく謎の存在と言わざるを得ません。ましてや娘と母親の関係は、時として微妙。言わずもがな、女同士であるが故の面倒くささがあります。

 

ただ、そうであっても、母親が年老いていく時、何か今まで感じたことのない種類の悲しみがあるのは、誰しも同じはずなのです。

私自身、80代の母親が目に見えて年老いていった時、お願いだからもうこれ以上歳を取らないでと、懇願したい気持ちになりました。なぜこんなに悲しいのだろう、なぜこんなに辛いのだろうと、不可解に思うほど。母親の老いは自分にとって容認できないものだったのです。

言うなれば、母親に80を過ぎても90を過ぎても“女性”でいて欲しい。本人にも、そのためのささやかな抵抗をしていて欲しいと考えていたほど。

例えば母親は、80代までヒールのある靴を履き続けていました。いや、本当に母親を思うなら、ヒールのある靴なんて危ないからやめてと言うのが娘の義務なのかもしれないのに、私は4、5センチでもヒールのある靴を履き続ける母親が、何だかとても誇りでした。履き続けられるなら、一生履き続けてねと思ったほど。

一方で、母親の背中が丸くなっていくのが気になって気になって、「背中丸いよ」「背筋伸ばして」とやかましく注意。母親の機嫌が悪くなるほどだったから、それこそ、今度は自分の方が“口うるさい鬼娘”になっていたかもしれません。