“貧しい子”を狙い撃ちにした教師


9月に刊行した拙著の中で、小学生の時、同級生が担任の教師から暴力行為を受けるという経験をしたことを書きました。私は、最貧困層が集う県営住宅に住んでいました。そこに住む同級生の男の子が、よく担任の教師に怒鳴られ、時に平手打ちをされたり、耳を引っ張られ引きずられたりしていました。

事情を詳しく話せば長くなるので端的に説明すると、県営住宅に住む子どもたちは、同じ地域に住む親たちだけでなく、その教師からも疎まれていました。中でもその男の子は、教師から目の敵にされていました。

その男の子は家庭環境がとても複雑で、引っ越しを繰り返す中で私と同じ団地に引っ越してきたのです。目の前でその男の子が殴られる姿を見て、ショックのあまり、私は1週間ほど学校に行けなくなりました。事情を知った母親が校長に面談を申し込み、日常的に担任の教師による暴力が行われていることを報告したのです。

 

校長に報告したら、矛先が自分と親へ向けられた


しかし、結論から言うと、学校側はなんの対応もしてくれませんでした。担任の教師はその後も担任を続投しました。暴力を受けていた男の子は、また引っ越して転校していきました。そして、担任の教師は私や私の母へ、きつく当たるようになりました。私は卒業するまで、嫌味を言われたり、クラスで問題が起きると真っ先に疑われ、犯人扱いされることもありました。

例えば道端で人に平手打ちでもしたら、明らかに暴行罪でしょう。でも、学校という密室空間で、教師と生徒という圧倒的に不均衡な関係性の中でそれが行われても、お咎めなし。事件化することなんてまずありません。暴力行為が校長に伝わっても、聞き取りすら行われず、その事実は握りつぶされる。それが私にとって、「現実」でした。社会とはそういうものなのだ、と幼心に絶望が刻まれました。