仮面の奥の、妻の心


「……お母さんがあんなに取り乱してるの、生まれて初めて見た。康太には言ってなかったけど……うちの両親、仮面夫婦なの。小さい頃から全然仲良くなくてね。とくにママが、パパのことバカにしてあしらってる感じで。なんで結婚したの? っていうくらい」

何か話していないと不安に押しつぶされそうで、私はこれまで頑なに恋人に明かさなかった家庭の事情を口にしていた。

「そうか、そういうこともあるよな。おまけにさ、家のことって小さい頃はひとには言えないからしんどいよな。俺もさ、実は兄貴が学校行けない時期が長くて、ちょっとわかる」

私は驚いて康太の顔を見た。3年間付き合っていて、そんな話は初耳だった。

「人ってさ、外からは分からないことがいっぱいあるよね。美月のお母さんの本当の気持ちも、子どもにはわからないとこ、あるのかもよ。さっきめちゃくちゃ泣いてたじゃん」

康太は穏やかな口調で、まっすぐ前を見ながら私を諭す。緊急事態とは思えないほど、ハンドルさばきは落ち着いていた。信号待ちで、ぽんぽん、と私の頭に手を置いた。

ふと、幼い頃の情景がよみがえる。母は私のくせっ毛を、いつも愛おしそうに撫ぜてくれた。私は母の人形のようなサラサラの髪が羨ましくて、自分のくせっ毛が大嫌いで。でも母が根気よく、本当に愛おしそうに撫ぜてくれたことで、いつの間にか気にならなくなった。

小心者なのに強がってしまう性格も、女の子としてはあまり褒められたものではなかったけれど、母はそんなところがいいと本心から慈しんでくれた。

それはどちらも、私が明確に父から受け継いだ特性で。「パパにそっくり」と愛おしそうに笑う母の目に、嘘はなかった。

……父と母は私にはわからない部分でつながっていたのだろうか。お嬢様でプライドの高い母と、成り上がりでガムシャラな父。残念ながらお互い青臭いときに歯車がずれてしまったけれど。

康太にありがとうと言いたいのに、言葉が喉につかえてうまく出てこない。ずっと素直な気持ちを言葉にしてこなかったから。ハンカチを取り出そうとバッグを探ると、スマホが震えた。

ママ:咲也さん、手術成功したって!

今度こそ、こらえきれずに掌で顔を覆う。

ママが、パパを二人のときは咲也さんと呼んでいたことさえ知らなかった。私は本当に、何も見えていない。

夜のレインボーブリッジを、車は滑るように進んでいく。あともう少し心を落ち着かせたら、康太に心からプロポーズの返事を伝えようと考える。

 
【第8話予告】
軽井沢に移住した一家。ある雪の夜、見知らぬ来訪者が……?

日常にひそむ怖い話。こっそりのぞいてみましょう……。
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イラスト/Semo
構成/山本理沙

 

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