平穏な日常に潜んでいる、ちょっとだけ「怖い話」。
お隣のあの人の独白に、そっと耳を傾けてみましょう……。
 

第19話 高望みな彼女

 

「もうすっかり初夏の陽気!」

超都心の地下鉄駅から階段を上がり、ゆるやかな坂を上る。背の高い街路樹に囲まれたこの道を歩くたび、憧れのため息をついてしまう。5月の新緑から漏れる陽光がちらちらと顔に当たった。

 

アイシングクッキーの作り方を教えてくれる恵梨香先生のサロンは、この坂を上りきったところ、瀟洒な低層マンションのペントハウス。ご自宅で教室を開いていて、スタンバイが出るほどの人気らしい。結婚式のプチギフトや出産祝い用のオーダーも途切れないようで、たまにラッピングを手伝うこともある。

恵梨香先生のサロンに通い始めたのは、大学時代の友人に誘われたのがきっかけ。レッスンは平日の昼間で、一般企業の会社員には難しい。そこでネイリストで平日がお休みの私に白羽の矢が立ったというわけだ。

――アイシングクッキーなんて、甘いばっかりで毎日食べたいものでもないし……どうせ習うならお料理のほうがいいんだけどなあ。

そんな風に思いながら出かけた先生のサロン。

そこは私が「憧れるもの」がたくさん、たくさんつまっていた。

恵梨香先生のアイシングクッキーは、シックなパステルカラーがベース。これまでインスタグラムで見たどのアイシンクッキーよりもセンスが良く、繊細で美しかった。

そして何よりも、恵梨香先生!

肌が信じられないほど美しく、黒目がちの目、サラ艶の髪。とても42歳とは思えない。10歳も年上なのに、ときどきまるで妹分のような茶目っ気を見せる。先生の「お持てなし力」は素晴らしくて、サロンはいつだって最高に居心地良く整えられている。

通って3か月になるが、初心者コースを修了し、アレンジ別の個人レッスンという形で延長していた。もともと細かい作業が大好き。せっかくだから講師養成コースを受講しようかと思っている。

ネイリストとして、いつかはこんなふうに独立して、自分のこだわりを詰め込んだサロンを開いてみたい。そのための運営の勉強にもなると思っていたし、自分のサロンを持ったときにアイシングクッキーのプチギフトがお客様に渡せたら素敵だなと思う。評判が良ければオーガニックの紅茶葉とセットでネイルサロンで販売してもいい。夢は広がった。

都心の超高級住宅地という立地も、ハイエンドなペントハウスも、恵梨香先生の素敵なムードも、すべてが私が手に入れたいもの。

……正確には、「理想の結婚後のライフスタイル」そのものだった。

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平穏な毎日に潜む、恐ろしいシーンをのぞいてみましょう。
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