母親という言葉を口にするのも耳にするのも、避けたかった

イラスト:Shutterstock

ですが、青木さんが「わたしは親になることを選択したい」という考えに至ったのは、ごくごく当たり前のことではないのかもしれない。そう感じるのは、このエッセイの至るところに、娘さんへの愛情と共に、お母さんへの様々な葛藤の思い出が綴られているからです。例えば、次のようなエピソードも、赤裸々に、淡々と語られます。

 わたしは、わたしの母が嫌いであったが、その理由の一つは、母が母であることを選択したくない、と思った瞬間があるからだ。母は、子どもたちさえいなければ、と思った瞬間があった。
 それを母の日記で知ったとき、わたしは存在を否定された気持ちになったし、あなたが勝手に産んだのによく言えるものだ、と思った。なんと、酷い母親だろうか、と思った。
 だが、わたしも母になり、また23人の母たちの告白を読んで、あの時の母親の気持ちが少しわかったような気がした。

 子どもを愛している。
 けど、そこから逃げ出したい。
 他の人生を歩みたい。
 と思うことは、きっとあると思うからだ。
 母は、その日感じたことを、自分だけの秘め事として日記に残す人だったから。
 そして、わたしは、日記を盗み見する泥棒だったから。
 あの時、わたしが盗み見しなければ、母親との関係もまた違っていたのかもしれない。

――『母が嫌いだったわたしが母になった』より

 


子どもの頃からの友人にも、「さやかはさあ、女の子育てられないと思ってた」と言われた青木さん。ご自身でも“同性の子ども”と仲良くやっていく絵が思い浮かばなかったそうですが、やはりそこには、お母さんとの関係が決して良好だとは言えなかった過去が背景としてありました。

 わたしは、母が嫌いだった。憎しみと言ってもよいし、嫌悪感を抱いていたと言ってもよい。母親という言葉を口にするのも耳にするのも、避けたかった。
 娘を出産した時もまだ、母に対してそのような思いを持っていた。
 だから、どこか、同じことを繰り返すのではないかと、同性の子どもに対して恐怖心を持っていた。今だって、少なからず持っている。いつ反旗を翻されるのかという若干の恐怖。飼い犬に手を噛まれるぞ! 的な。

――『母が嫌いだったわたしが母になった』より