勝ったときには意外に大きな感情は湧かない


優勝した瞬間、大谷選手が帽子を放り投げたシーンは、日本中を熱狂させました。

栗山:僕は見ていないんですよ、それ。バッターのトラウトしか見ていなかったので。でも、勝った瞬間、「よっしゃー!」って言ってるんです。それでコーチにハイタッチして。コーチからは「監督があんなにうれしそうな顔をしていたのを初めて見た」と言われました。そういう表情をしていたんだと思います。

ただ、僕はそんな記憶はないんです。その後、選手もコーチもみんなすごい喜んでいるのを見て、すごくうれしくなったのは覚えているんですけど。

勝ったときって、意外と大きな感情は湧かないんです。僕はとても淡々としています。ファイターズで日本一になったときもそうだったし、涙も出てこない。苦しさを超えちゃって、感動も超えちゃっているので。

だから、よかったなぁ、みんなよかった、と思ったのと、ありがとう本当に頑張ったね、という感じだけで。負けるときは理由がはっきりわかるんですけど、勝ちって不思議な勝ちもある。

自分のやってきたことは何だったのか、この大会が何だったのかも、正直よくわからないような不思議な感じでしたね。

 

書籍『熱くなれ』にも出てきますが、稲盛さんは「あとは神様に祈るしかないというくらいまで、すべてのことをやったのか」という言葉を残されています。

栗山:わかります。振り返ってみると、そういうことを思ってやっていたと思います。できることは、すべてやり切ろう、やり尽くそう、と。もちろん、まだまだやれることはあったのかな、とは思いますけど。全部やれたなんていうのは、おこがましいので。

ただ、ある程度のところまでをやり切らないと、やっぱり神様には会えないと思うんです。逆転サヨナラ勝ちをした準決勝のメキシコ戦で、土壇場の最終回、ノーアウト1、2塁で村上を打たせる決断をしたわけですけど、あのときゲッツーだったら、もうすべては終わっていたかもしれない。

 

もちろん考えるんです。ゲッツー打つケースとか、バーッと頭に浮かぶ。たくさん情報がありますから、頭の中で、足し算引き算でどうするかを考える。野球は確率なので。でも、なんだかよくわからないものが、ガーッと押し寄せてくるときがあるんです。あのときがそうでした。いいイメージしかわかなかった。

全部じゃないけど、あとは神様に祈るしかない、というところまでやったんだから教えてあげるよ、と神様に言われたのかもしれないです。だから、村上で勝負だ、と決めたのは僕ではないです。野球の神様が決めたんです、はい。

でも、ものすごいものをいっぱい入れた上で、スーパーフル回転して考えると、人智を超えたところで何かが降りてくる、というのは本当にあるかもしれないと改めて思いました。計算して、できるようなことではない。

だって、ラストが大谷翔平とトラウトですよ。エンゼルスの同僚にして、両チームのキーマン。日本のエースとアメリカの4番が最後に対戦する。こんなことが起こるわけです。

僕は漫画以上のシナリオをいつも持っていきますけど、僕でも「これは漫画か」と思いました。だからトラウトを見たときに、本当に勝ったと思いました。こういうことか神様、という感じでしたね。