この報道後に、元ダンサーたちの訴訟をサポートすると名乗り出たのが、2019年にリゾのドキュメンタリー番組の監督を務めるはずだったソフィア・アリソン。彼女は自身のインスタアカウントで、番組を制作するためにリゾと旅した際に「失礼な扱いを受けた」と告発。


その後、Twitterに再投稿。

「私は通常、ポップカルチャー関連のことにはコメントしません。だけど2019年、私はリゾのドキュメンタリーの監督を務めるため、リゾと少し旅をして、2週間ほどで立ち去りました。私は彼女に無礼な扱いを受けたのです。私は彼女がいかに傲慢で自己中心的で不親切かを目の当たりにしました。私は守られることもなく、サポートもほとんどないクソみたいな状況に放り込まれたのです」とソフィア。

「私の精神は全速力で逃げろと言っていたし、自分の直感を信じたことにとても感謝しています。これらの報道を読んで、それがいかに危険な状況であったかがわかりました。このような権力の乱用は、あまりにも頻繁に起こっているのです」

 

酷いダブル・スタンダードだと感じますが、私はそれを先般の映画『バービー』の一連のバーペンハイマー炎上に対する本国の映画会社の対応にも感じました。リゾも『バービー』も、ポジティブなセルフラブを謳っておきながら、マイノリティや、かつて傷つけられた人たちの本当の気持ちなど、もしかして微塵も配慮していないのではないか。リゾの場合は、自らがマイノリティであったはずなのに、結局のところ、弱者の気持ちがわかることを商売道具にしていただけなのではないのか。

HBO Maxのドラマ『THE IDOL』で、ハリウッドには売れるためにメンヘラを演じる“ファッション・メンヘラ”セレブがいることを知って衝撃を受けたのですが、こうなってくると、“ファッション・LGBTQ+”や“ファッション・ボディポジティブ”、“ファッション・フェミニズム”までも疑いたくなってきます。所詮ハリウッドがやることなんて、成功者のお金儲けと人気取りのためのパフォーマンスでしかないの? と。

一方で「では己はどうなのか」と省みると、自分の中にもダブスタって全然余裕で存在してるんですよね。きっとすべてにおいて言行一致で生きている人なんていないのかもしれない。だからこそ、不祥事を起こした有名人を躍起になって叩く権利は誰にもない。一度過ちを犯したからって再起不能なくらいにSNSで批判したりするのは、犯罪の二次被害であり、自らも加害者になってしまうことだと思います。

だけどリゾは先日のフジロックでもセルフラブを全身で表現して、観客たちを感動させてくれたばかり。その盛り上がりが大きかったからこそ、みんなの失望が大きいこと、本人に伝わってくれるのでしょうか。


続報でリゾが出した正式コメントによれば、元ダンサーたちの解雇は、ツアー中のプロとは言えない態度が原因であり、本人たちもそれを認めた上での解雇だったのに、その後「体重のせいで解雇された、セクハラやパワハラを受けた」と告訴されたとのこと。

これに対して元ダンサーたちはTV番組に出演し、「事実が事実であり、私たちが経験したこと、目撃したことは絶対に起こったこと。私たちが望むのは、世論よりも事実に目を向けてほしいということです」と反論。早くも泥沼化の様相を示しています。

N.Y.タイムズではこの報道後、インスタグラムのフォロワーが一気に120000人減ったというリゾのキャリアと信頼の回復は「難しいだろう」と予測する記事を掲載しています。

 

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