アタリの姉、ハズレの妹
小さい頃から、大病院を経営する一家の姉妹として地域の注目を浴びて育った。
名家に生まれ、美人で才媛、強気で面白いとなれば……私の姉、茉莉花は生まれた時からスターだった。
両親も、「これはアタリだな」と思ったことだろう。幼少期からピアノにバレエ、塾にテニスやスキー、馬術など、将来医者になって大病院を運営するために必要なスキルをどんどん姉に学ばせていた。
一方の私は、友達こそ多かったけれど、成績は普通。取り立てて目立つ特技もなく、いつもリレーや水泳の代表だった姉に比べて、ただの一度もそういうものに選出されたことがない。派手な顔の姉に比べると、親しみやすいキュートな雰囲気ね、と言われるのが精一杯の周囲の気遣い。
そう、私たちは、だれもが認める「格差姉妹」だった。
幸い両親はそんな私をもはや孫モードで可愛がり、まるで惣領息子のように育てられた姉に対し、私には「英玲奈は好きなことをすればいいよ。医者のお嫁さんになればいい」と繰り返した。
親にまったく期待されないのはとっても楽で、少し胸が痛い。
その痛みを紛らわすように、私は切れ目なく彼氏をつくり、高校から姉とは別の学校に行き、青春をことさら謳歌した。
姉は履いて捨てるほどラブレターをもらうのが常だったが、誰一人として彼女のお眼鏡に叶う男子はおらず、彼氏は作らない。夜は遅くまで勉強をしていた。高校ではテニスのインターハイでいいところまでいきながら、現役で有名私立医大に合格。
姉が医大に合格したときは、父の病院の幹部や古参ナースたちがこぞってお祝いの品を献上し、毎日のように祝賀会を開いていたけれど(当然だ、これで未来の院長が決まったのだから)、私が女子大の文学部に合格したときは、ひたすら黙殺されていた。
「あんたねえ、なんで文学部? うちの一族なら歯医者とか薬剤師とか、なんかあるでしょうが。手に職をつけないと将来どうするのよ」
姉のそんなセリフが、ほとんど唯一、私の進路に対してかけられた他人の言葉だったと思う。
私はひたすらスルーを決め込み、大学時代は姉が懸念したとおり遊びまくって、父のコネで医師会の事務局に勤めたあと、食事会で出会った幸平さんと25歳で結婚した。
彼がお義父さんの事業を継ぐために数年以内に田舎に帰らなくてはならないと打ち明けられたとき、むしろこれで実家やその周辺の世界から離れられると安堵した。
縁もゆかりもない、誰も私を色眼鏡で見ない土地で「愛され主婦」として家族のために生きる。
それが医者にもなれず、家業にも貢献できず、姉のスペアにも片腕にもなれない私にピッタリの「幸せになる道」だと確信していた。
……それこそが甘ちゃんな私の勘違いだったことに気づくのに、そう時間はかからなかったけれど。
夏の夜、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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