姉のシナリオ
「悪かったわね、お姉ちゃんの旦那様みたいに医大の教授じゃないからってそんな風に言わないでよ」
私はちょっとムキになってみせた。
「彼、浮気していて、酔うとあなたのこと殴るんでしょ。こんな田舎の狭い家であのお姑さんの世話も押し付けられて、まだここにいるなんて一体何のつもりなの?」
私は今度こそ絶句して、姉の顔を見た。
何で知ってるの? 家族の誰にも相談したことないのに。
数少ない、結婚生活の実情を知る親友たちの顔がぐるぐる巡る。……彼女たちは幼馴染で、同時に姉にとっても妹同然だ……。
「英玲奈は藤原家の娘でしょうが。プライドを持ちなさい。踏みつけられたら戦わなくちゃ。ろくでもない結婚生活ならさっさとリセットして前に進みなさいよ。意地張って、足元みられてばかみたい」
「何よ! そんな言い方しなくてもいいでしょ! お姉ちゃんはいいよね、なんだって持ってるし何だって思い通りじゃん。私の気持ちなんてわかんないのよ。普通の女はね、夫にちょっとくらい浮気されたって殴られたって、稼ぐ手段がなきゃ目をつぶるしかないのよ」
「バカバカしい、そんなの覚悟の問題でしょ。嫌なら離婚して仕事なんて死ぬ気で頑張りなさい。奴隷みたいな生活で幸せなの? あんたはその程度の人間なの? 違うでしょう!」
傍若無人、唯我独尊。ヒロイン体質で、勝気な私の姉。私の大好きなお姉ちゃん。
いつの間にか車は駅前に到着した。姉はいかにも優雅に、車を降りる。
「夕飯は送り付けておいたんだから、英玲奈が一晩くらいいなくても大丈夫でしょ。このハイヤーで東京まで帰りなさい。夜、お父さんとお母さんに相談してみれば。一度ここから離れてこれからのこと考えてみるべきね」
「え!? このハイヤーで? 東京まで? 何万円かかると思ってる?」
私が仰天して叫ぶより早く、姉はひらひらを手を振って去っていく。
あっけに取られている私を振り返り、運転手さんはにこにこと頷いた。
「お代はあらかじめ、先生にいただいていますから」
……そういえば、コロナ禍を口実に、もう丸3年も実家に帰っていない。電話はもちろん定期的にしていたから、父と母はそれで騙されてくれた。
飛び出していった次女がとんでもない男にひっかかって、みじめな結婚生活を送っていることに気づかずに。
姉だけが、気づいた。そして喝を入れに来てくれた。
「……ちょっとだけ、帰ろうかな、実家に」
運転手さんは、相変わらずにこにこしながら深く頷くと、車を滑らかに発進させた。実家に行くと思った瞬間、強張っていた体から力が抜けていく。この数年、夫との関係がこじれて以来、ずっとどこかで緊張していたのだと思い知らされる。
眠ろう、今は。ほんの少しだけ。
目が覚めたら、新しい気持ちで現実に立ち向かえる気がしていた。
交番の前に毎日現れる少女。新米警官がとった行動とは?
夏の夜、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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構成/山本理沙
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