目をそむけてしまう現場

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換気扇をいくら回しても、浴室の中の臭いは抜けず、道路側の窓を全開にしました。さらに、特殊清掃のスタッフが脱臭器をかけてくれましたが、まったく効かず、死臭を抑えることはできません。

臭いがきつくて祭詞をあげられず、スペース的にも狭すぎるので、わたしは依頼者に告げて、ユニットバスの外の廊下に祭壇を構えることにしました。

そこから浴槽に向かって祭詞を唱えました。
「畏み畏み申す⋯⋯」

廊下もひどい臭いですが、臭いはひたすらに我慢をするしかなく、極力、浴槽や床に散らばる肉片が目に入らないようにしました。

それでも、どんな現場であっても祭詞のときは平常心で臨みます。亡くなった方の魂が安らかになりますように、という思いを込めるのみです。

「⋯⋯祓い給え、清め給え、祓い給え、清め給え⋯⋯」

無事に儀式をおえ、後は特殊清掃の会社の方たちに任せて部屋を出ました。
この後、部屋はきれいにされ、臭いは消え去り、何事もなかったかのように次の住人を迎えるのでしょう。

自分の車での帰り道、鼻の奥にはまだ死臭がまとわりつき、脳内には浴室の情景が思い浮かび、気分は晴れませんでした。

プロの特殊清掃のベテラン作業員も、浴槽で亡くなった現場は避けたいそうです。それほど強烈な現場でした。

たくさんの事故物件のお祓いをして、毎回死臭を嗅ぎ、「死臭ソムリエ」なんて軽口をたたいていましたが、それまでの経験がまったく通用しない現場でした。

 

増える孤独死


マスコミ報道などで「孤独死」という言葉が広がりましたが、実は、孤独死のはっきりとした定義はありません。全国の自治体でもまちまちで、厚生労働省は「孤立死」という言葉を使っています。とはいえ共通するのは、

・持ち家、賃貸にかかわらず、自宅で死亡している
・一人暮らしをしている
・看取る人がいない
・社会的に孤立している
・死後数日以上経ってから発見される

などといったことになるようです。
孤独死というと高齢者というイメージがありますが、最近では三十代から五十代にも増えており、五人に一人が孤独死する社会になっています。
死を社会で受け止めなければいけない時代になっているのかもしれません。