親になることは想像を絶する苦悩の始まり


実際に読んだ生の母親たちの声、その苦悩や後悔は想像を絶するものでした。「子どもが可愛く思えない」「育児は大変」というレベルではないのです。母親になることは“人生の厄災”。人生の安寧、平和、いや、人生そのものを根底から覆し、アイデンティティを揺らがせ、トラウマを生み、あらゆる苦痛をもたらすもの。諸悪の根源だと言い切ってもいい。

母親たちが子育てを形容する言葉に、こんなものがあります。
「これは奴隷化なんです。奴隷。退屈な重労働なのです」(p126)
「子どもがいなければ、自分の人生がずっと良くなるということです。そのことに疑いの余地はありません。」(p144)
「『子どもの笑顔は何にも代えがたい」と言っているようなものじゃないですか。それはでたらめです。真実からかけ離れています。」(p145)

 

ここで語られるのは、親になること、子育ては絶えず母親たちの心を痛めつけ、蝕んでいくほどに、過酷なものなのだということです。

SNSで、「子どもは欲しくない」と投稿した女性が猛バッシングを浴びる場面を見たことがあります。女性は子どもを欲しがるもの、さらに、母親になれば子どもを心から愛し、慈しむもの。母親になった人生に充足感を得て、人間的に成熟し、心が満ち足りる……。そんな思い込み、押し付け、刷り込みがこの社会には厳然と存在します。そんな社会で、「母親になった後悔」は、ひたすら押し込められてきました。少しでも口にすれば、呆れられ、軽蔑され、病気を疑われることさえある。いままでで表出することが無かった、建て前を捨て去って露わになった本音に触れて、正直少し動揺しました。でも、子どもを持つ人たちが置かれる現実を冷静に見れば、「母親になって後悔する」のはある意味当然だとすら思います。

 


母親たちを追い詰める「父親の不在」


本に登場する「母親になって後悔してる」23人の女性たちが子どもを持つに至った理由は様々です。
「部外者(アウトサイダー)になるのは辛いものです。子どもがいれば、たとえ他の面で社会からはみだしていたり少数派であったりしてもーーある程度の仲間入りができて、人生が楽になるのです」(p49)
「[母になることは]社会への入場券のようなものです」(p137)
とあるように、社会の一員になるために母親になったという人もいれば、“女性は母親になるもの”という前提が刷り込まれているがゆえに、自分の本心を考えたこともなかったという人もいます。中には、不妊治療の末に子どもを授かったという人もいます。

母親たちの苦しみに迫っていく中で、見えてくるのが「父親の不在」です。パートナーの子どもへの無関心・無責任さが母親たちを追い込むのです。子育てにおいて、母親は文字通り24時間子どもに付きっきりで、外に出た時も、子どもを最優先し続けることが求められます。一方、父親は社会においても、家庭においても、子育てにかける時間や労力を選ぶことが社会的に許されているというのです。

「母は、離れたり休憩したりする機会が非常に限られている一方で、ほとんどの父親は逃げることができるし、実際にそうするのである」(p184)