「大変だった」という経験は必ず役に立つ

神田 仕事のキャリアが変わる度にご自身のスタイルも変わってきたのでしょうか?  キャリアのお話も聞かせてください。

岡本 スタイリスト事務所へアシスタントで入り、百貨店のチラシなどいろんな撮影の現場をこなしました。私は見た目が派手だったので、一番怖い売れっ子の先輩につけられてしまい(笑)、その方の下でビシバシ鍛えられました。その時に子供服の撮影、紳士の下着、器や料理と、ありとあらゆる撮影をこなしました。アシスタントの身だったので地味な仕事の連続でしたが、コツコツといろんなことが経験できたと思っています。そうしているうちにVIVA YOUというブランドから声がかかり、そこで6年半くらいプレスを。その後、一度退社をしたのですが、ケイト・スペードが日本に上陸するタイミングでVIVA YOUと同じ会社(当時サンエー・インターナショナル)に業務委託で舞い戻りました。そこから10年以上、国内外のPRを行いました。

神田 ファッション業界はとても上り調子で忙しい時代でしたよね。ケイトも絶好調に売れていて。ポジティブな敬子さんも「やめてやる!」みたいに辛かった時期もあったんですか?

 

岡本 そんなのしょっちゅうでしたよ。でも、性格なんでしょうか、辛いことは忘れてしまいました(笑)。辛い経験も、その前のスタイリスト事務所で大変な仕事をこなしていたので、「こんなものだろう」と乗り越えてもいけましたし。くよくよもするけれど、1日寝ると「しょうがないか」と忘れてしまう。頭にくることも、理不尽なことも仕事をしていたらありますけれど、忘れちゃう(笑)。

神田 そういう感情はどうやって消化しているですか? イライラして眠れないということは?

岡本 楽しいことを考えたり、旅行に行ったりしてよく気分転換しています。眠れないほど、ということはさすがにない。イラついたところでしょうがないし、体を悪くして自分が損しちゃう。だって怒ってもイラついても状況は変わらないから。それより「寝ちゃえ!」「飲んじゃえ!」って。お酒も美味しい食事も好きなので、そんな感じで発散しています。

神田 仕事のプレッシャーやストレスも「仕方ない」と思えたらずいぶん楽になりますよね。あまり完璧主義者になりすぎると、自分も相手も苦しくなる。仕事も子育ても、家庭環境も、適度な逃げ道が必要。ストレスが多いなら、環境を変えるとか、思い切りも大切ですよね。そうそう、敬子さんも仕事を一度やめて、鎌倉に移住した時期もありましたっけ。

ファッションはライフスタイルの中にある

岡本 会社員という枠がどうしても合わなかったみたいで(笑)。忙しく働いても働いても、お給料は散財して消えていく。25歳で結婚もしていたので、27歳の時に仕事をやめて、夫婦で「引っ越そうか」という話になり、9年くらい鎌倉に。服の好みやテイストががらりと変わったのもこの頃です。都会で着ていたおしゃれな服が全然マッチしない。素敵なレザーのジャケットや、バッグも靴もすべてカビちゃうんですよ(笑)。もう、サビとカビとの戦いです。当時、エルメスとパラブーツがコラボしていた、アザラシの毛が甲部分についたチロリアンシューズがあり、東京ではよく夫婦ではいていたのですが、鎌倉ではしばらく締まっておいた。そして久しぶりに見たら靴全体がアザラシの毛になっている。で、よくよく見たらカビが積もっていて……。もう思い切って捨てました。東京ではアリだったものが、鎌倉のライフスタイルでは合わない、と感じ、リネンやシルク、コットンなどの天然素材をこの頃からよく着はじめていました。

神田 鎌倉でゆっくり過ごすうちに、本当に好きなもの、似合うものへと、移行したんですね。

バッグのダブル持ち。フォークロア調のポシェットに、福岡の若手アーティストの竹のカゴを荷物入れに。

岡本 鎌倉時代は遊びで服を作ったり、半年間フランスに一人で遊びに行ったり、自分のファッション感を作るのに大事な時期だったように思います。フランスでは普通のひとたちの日常のオシャレを間近で観察できたのも楽しかった。それが29歳。その時、東京でバリバリ働いていたら、もっといろいろな人脈が広がったかもしれないけれど、人生を楽しむほうにどうしても舵をきっちゃうんです。そうやって十分に遊んでリセットした頃に、ケイトのプレスの話をいただきました。鎌倉から東京に通い、二重生活を始めたのですが、次第に忙しくなり、もう一度東京にベースを戻したんです。

神田 ご主人様(編集部注:エディタ―の岡本仁さん)との息もぴったりで、おしどり夫婦として有名です。

岡本 気が合うんです。人生の節目という大きなスパンでの気も合うのも大きいです。転機が一緒 。私が会社を辞める直前に、主人のほうから「会社辞めようと思うんだけれどどう思う?」って聞かれて。「いいんじゃないの?」「あ、そう」「まあ、私も辞めるんだけどね」って(笑)。「もう、どうする岡本家!」と笑ってしまった感じです。主人は長年勤めた出版社を辞めて、自分より若い社長のいる会社にいくからと言って、もう決めてきていました。

神田 それを素直に聞ける敬子さんはすごい。

岡本  でも、私も退社を決めていたから怒る権利も困る権利もないわけで(笑)。私は会社に所属するより、フリーランスがいいな、と。声をかけてくれた方の展示会の手伝いを始めるようになりました。しばらく続けていると、主人から「そろそろ、ひとのPRじゃなくて、自分で何かやって、それをPRするのがいいんじゃない?」と言われ、「たしかに」と思い、自分が好きなアクセサリーの作家さんとコラボレーションを初めて、KOというブランドを作りました。

「ここに頻繁に来たい」。ならば仕事にしよう!

神田 その仕事は鹿児島がベースとなり、人生の楽しみのひとつになっていますね。

ダンスコのマリアショートブーツ。敬子さんがはくと、ダンスコもモードな印象。歩きやすく、合わせやすい万能ブーツ

岡本 主人の会社が鹿児島にお店を作るときに、一緒に通ううち、きちんと自立をしてクラフトを作っている若いアーティストの方々に出会い、とても刺激を受けました。その中に好きで通っていたアクセサリーの店があったので、KOの最初の商品もそちらで作ってもらうことに。鹿児島の方々と徐々に縁が深くなり、今では家も借りていて、親にも薦めたことで、なんと親も鹿児島に移住しちゃいました(笑)。現地の皆さんのエネルギーや住みやすさに惹かれ、「ここに頻繁に通いたいな」と感じたので、まずは行く口実となる仕事を作ろうと。それからは合同展示会にアクセサリーを出展して、そこで取り扱いを希望してくれる店がシーズンごとに増えてきて、今があります。他にもたまたま通っていた眼鏡屋さんから「そんなに眼鏡が好きなら自分で作ってみたらどうですか?」と声をかけられ、眼鏡も KOで作りました。自分が「好き」と思ったものがKOの商品になり、そのまま仕事になっているという感じです。ブランド自体は最初は全然まわっていかなかったのですが、2011年からスタートして3年くらいでまわりだし、ちょっとずつ、ちょっとずつ大きくなってきています。

神田 KOのアイテムたちは個性豊かだけれど、やっぱり敬子さんのセンスでつながっている。たくさんオーダーを受けすぎないなど、個人だからこそできるバランスも大切ですよね。ブランドの仕事は細かなことも多いと思いますが、ぜんぶご自身でされているんですか?

岡本 タグつけ、検品、発送、伝票、請求書など全部やっています。自分でやれる範囲でないとブランド自体が続かないと思っているので。

神田 それもいろんな経験から、自分のできること、持続可能な範疇をわかっていて、自らきちんと動いているあたりが、敬子さんらしいです。好きなことこそ細く長く。「何事も継続は力なり」だと私もいつも思います。

岡本 仲良くしている主人の先輩から「敬子ちゃん、フリーランスの仕事は3本立てがいいよ。一本だけに絞ると、それがなくなるとすべてがなくなっちゃうから」と言われたのが頭に残っていて。複数の仕事を並走させることはいつも念頭においています。今の私はPRの仕事がひとつ、KOの仕事がひとつ、ディレクションの仕事がひとつ。この3つ。最近は、「pilli」という千駄ヶ谷のお店のディレクションも加わったので、ディレクション業が広がっている感じです。

神田 敬子さんと一緒にお仕事をするようになったきっかけは、nanadecorのパジャマを愛用してくださったことでした。私は敬子さんが睡眠のために、食事の時間にも気をつけていたり、朝はおかゆ、夕食を通常は8時まで、会食も減らしているなど、体調管理を徹底されているところに刺激を受けました。私は敬子さんのバリバリキャリア時代も知っているので(笑)。健康的な生活こそ元気の源であり、睡眠の大切さに気づき、きちんと実践されていることにリスペクトです。nanadecorは睡眠の大切さを伝え、サポートしていくためのパジャマ屋です。ここまで徹底して寝ることに取り組んでいる方はなかなかいないので、ぜひ一緒に何かをしたいと思ってお声がけしました。今は敬子さんと一緒にコラボ商品を持って地方にもうかがいますが、行く先々、全国津々浦々に敬子ファンがいらして。

 

岡本 完売してしまうことも多いと聞いて、本当に有り難く思っています。オーガニックコットンの素晴らしさも改めて感じることができて、皆様にもお知らせできて嬉しいです。最近始めた「Pilli」も他では探せないような私が好きなアイテムを揃えているので、わざわざ地方から見に来てくださる方も多いんです。こちらも感謝です。

神田 ライフステージによって仕事も拠点も軽やかに変えていく、いつもハッピーな敬子さん。ますます今後の展開が楽しみ!

岡本 ありがとうございます。


対談を終えて……

敬子さんはいつも自然体で、旅と美食を楽しみ、仕事もしっかりこなしている。本当にバランスよくご自身の生活を楽しんでいるな、といつも尊敬しています。どんなに忙しくても、気持ちが安定しているのは、やはり自分らしさ、を大切にされているから。その秘訣は仕事もスケジュールも無理をしない、あくまで自分の範疇を守っているところかもしれません。ある意味、ファッションを楽しむことも、そんな自分に余白の部分があってこそかもしれませんね。似合うもの、好きな服、自分に素直になって、いろいろ挑戦していく余裕を持つこと。きっとそれが経験になり、糧になるんですね。さらに今回はストレスの解放は旅だということで、編集部大森さんとも敬子さんの旅日記をミモレで連載にする話で盛り上がりました。前々から皆さんに伝えたいと思っていた、敬子さん的な店選びや、行きつけの店のご紹介を。 ミモレで実現していきますので、今後もお楽しみに!

聞き手:神田恵実nanadecor ディレクター/Juliette主宰 ファッションショーの制作、編集プロダクションを経て大手出版社に勤務。後にJuliette.incを設立しファッションエディターとして、女性誌や書籍の編集、国内外のファッションブランドの広告、カタログやウェブ制作などを手がける。2005年にはオーガニックライフの素晴らしさと必要性を伝えたいと、「nanadecor」をスタート。プロダクト開発のみならず、ワークショップの企画、女性の雇用支援など、衣食住、様々な視点から、オーガニックライフをトータルで啓蒙。現在はオーガニックに関するコンサルティングやディレクション業務、睡眠の重要性を伝える活動、幼児教育に関するアプローチを始める。リマクッキングスクール師範科卒業、睡眠改善インストラクター。AMPPルボアフィトテラピーアドバイザー。
撮影/林洋介 取材・文/神田恵実
 
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