人生に、不幸な出来事はあったほうがいい
 

30代のときに建てた、という佐藤先生のご自宅にて。素敵な内装と調度品で装飾されていた。

 今はとにかくミスをしたくない、損や無駄を生みたくない、という効率重視の時代。ましてや人の借金を背負うなんてとんでもないと、多くの人は感じたことだろう。

「今はみんな、身を守る意識が強くなってるんですね。それが損得にも及んでいるわけですよね。だけど私なんか、3500万円なんて今まで聞いたこともないような額の借金が肩にのしかかってきて以来、金なんてものは紙くずみたいなもんだ、と思うようになりましたから。あるときはあるように生きればいいし、なくなったときはないように生きればいい。そういうふうに思うことによって、平気でいられたんですよ」

 意外にも佐藤先生、それまではケチだったという。

「一生懸命貯金したりしてね。常識的には、大きな事件にぶつからないというか、冒険をしないというか、いわゆる不幸な出来事のない人生が幸福だと昔から決まってるみたいだけど、私はあったほうがいいと思いますね。それによってものを考えるようになるんですよ。ずーっと何のマイナスもない人生を歩いていたら、考えない人間ができちゃうのね。だからよく、老後をいかに楽しむかってテーマの取材依頼がくるんだけど、そんなこと私に聞いたってね。苦労がいいって言ってる人間ですよ。よく私の書いてるもんを読んでから頼みに来いって言いたくなりますよ」

91歳で一度は仕事を引退したものの……
 

 40代は、「目の前を生きるだけで精一杯という人生でした」と振り返る佐藤先生。とにかく仕事に追われ、ようやく借金を返済し終え、91歳のときにこれで最後だというつもりで『晩鐘』という小説を刊行した。そうしてあとは何もしないつもりでいたら……。

「鬱病みたいになったんですよ。それまでは、目が覚めたら『さあ今日はあれをやるぞこれをやるぞ』と思い巡らしてバッと起きる、そうやって一日が始まっていたわけ。それが仕事を全部断ってしまうとね、起きても寝てても同じなんですよ。別に亭主がいるわけじゃなし、子供がいるわけじゃなし、一人だから一日中寝てたってかまわない。するとやっぱり精神が沈滞してくる。張り合いがないわけですよ。それで、ちょっとこれは良くないな、鬱病になる恐れがあるな……と困っていたところに、『女性セブン』の人がひょっこりやって来て、「エッセイを書きませんか」と。『女性セブン』なんて普段読んでないから、読者が想定できなかったんですけど、まあでも鬱病になるのは困るし、この内容なら気軽に書けるから、引き受けていたんですよ。それでだんだん元気になってきた。それがこんなに売れて、おかしいですよね。何であんなものが(笑)」

今はもう何が欲しいといった“欲”はなく、ただ美味しいご飯さえ炊ければいいと思ってらっしゃるそうだが……。「問題はそれを炊く最近のコンロ。自分で火加減しようにも、気がついたら炊きあがって火まで止まってるんです。あれは大きな不幸ですよ。今はいかに怠けるかってことが幸せにつながってるみたいですね……」


クイズ番組を見るのが大好き。
人間性が見えるから。
 

 今は、朝だいたい7時頃に目が覚めて、しばらくベッドの中で執筆中の小説や日々のあれこれについて考え、8時半頃起き出す毎日だという。それから、食パンとトマトと牛乳の朝食(面倒でなければハムエッグも作る)を食べながら、3紙取っているという新聞を読む。お昼はなし。大抵は14時から取材などでお客さんが来るので、そのとき一緒にお茶やお菓子をつまんで昼食代わりとする。夕食は19時頃とり、それからテレビを見るのが日課だ。好きなのはクイズ番組。クイズそのものというより、そこに出ている人たちの人間性を見るのが参考になるのだという。「『ああ、これは勝ち気な女だな』とか、『これは気の小さい男だな』などというように(笑)。だから一番愛しているのは、タレントではなく一般人が回答する『アタック25』」。出かけるときでも必ず録画しておいて、後で観るほどだそう。最後は夜の報道番組を観て、お風呂に入り、ベッドで1時間ほど本を読んで1時頃寝る、というのが普段の過ごし方だという。

この日は天気が良かったため、ご自宅のお庭にて撮影させてもらった。「天気がいい日に洗濯するでしょう。空が真っ青で、お日様の光が燦々と降り注いでいてね、本当にいい気持ち。やはり年をとると、幸せっていうのはそういうときに感じるんですよ」

 
「小説は難航してましたね。頭が悪くなってるし、書き直しばかりしている。要するに、自分で気に入らないわけですよ。それでもう1年以上経っているんだけど、なかなか終わらない。このまま書き上がらないで死ぬことになるんじゃないかと思ってますけどね。まあでも、今は若い人向きの世の中になってますからね。年寄りの知恵ってのが生かせる場所がないですから、私みたいに機械のことが分からない人間はアウトですよね。この頃は飛行機の切符も自分で機械で何とかするんでしょう? だけど私は人と会話しなきゃ分からない人間ですから、生きていけないですよ。こうなると、死ぬのが惜しくなくなるのはいいですね」

撮影/衛藤キヨコ 取材・文/山本奈緒子
 
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