前編では、看護師のキャリアから一転、メイクアップの世界に飛び込んだ経緯、紆余曲折をおうかがいしました。後編では、メイクアップアーティティストの枠を超え、コスメプロデュースやインナービューティケアの情報発信など多岐にわたる現在の活動にいたった経緯を語っていただきます。
自分の個性を認めたら、新たな道も拓けてくる
神田 師匠であるyUKIさんは引き続きモードの世界での第一人者ですが、早坂さんはそれとは異なる独自のジャンルを切り拓いていった印象があります。
早坂 私が独立した時期は、雑誌の世界がストリートファッションから少しお姉さん風な甘めのテイストを求めて時代が移行していく時期でした。世の中の空気として、今までよりももう少し「抜け感」がほしいという気分が高まっていた。そこにyUKIさんから学んだ、フレッシュで瑞々しい肌づくりがピタッとハマッた感覚があります。
神田 当時、日本のメイクは端正につくり込むものが主流だったので、とても新鮮でした!
早坂 海外では当たり前だった“抜け感”のあるメイクを日本人用にアレンジすることが得意だったんです。海外のファッション誌を見てみんながやりたいなと感じていたナチュラルな肌感を、日本人に似合うメイクで再現できた。日本人の肌って、他のアジアの国の人と比べてもとてもきれいなんです。それなのに厚塗りしている人が多かったから、どうにかしたいと常々思っていたんです。自分で言うのもなんですが “日本人の女性の仮面を1枚剥がした功績”はあるのかな、と今では思っています(笑)。
神田 そうやって時代の気分とシンクロしながら、自分のポジションを築いたんですね。少しエッジを効かせながら、女性らしい独特のテイストで。
早坂 私のメイクは“湿度”が高いんです。私自身、色気があるものが好きだからか、自然とメイクの仕上がりは女性度が高くなる。昔はそれが本当に悩みだったんですが、カメラマンの蜷川実花さんと仕事をしたときに、バンッとハマッた瞬間があった。その時、彼女から、「私のメイク提案が好きだ」と言ってもらえ、すごく嬉しかったです。同じ頃にスタイリストの佐々木敬子さんや風間ゆみえさんなど、とてもナチュラルにモデルさんの“女性らしさ”を引き出すクリエイションをする仲間と出会い、私のメイクを思いっきり生かせる場所を見い出せたのが大きかったと思います。30代前半くらいの頃でした。自分のメイクの特徴を短所として悩むのではなく、長所だと認めたときから、逆にサラッとしたものもつくれるようになってきて、どんどんメイクの引き出しの幅が広がっていきました。
メイクの先に、新たに広がる世界
神田 自分らしさを認めることで、執着がなくなったのでしょうか。そこから着々とキャリアを積んで、今ではメイクアップアーティストの枠を越えた活動をしてますよね。オーガニックプロダクトのプロデュースや、インナービューティーのアイコンとして、たくさんの情報を発信しています。そうなるまでに、どんな変化や決意があったのでしょうか?
早坂 アロマやオーガニックへの関心は、看護師を辞めた頃にさかのぼります。その頃、看護師の仕事が忙しすぎて子どもの頃から持っていたアトピーがひどくなってしまっていました。それで食生活を変えてみようと、その頃、『FRaU』で話題になっていた「世にも美しいダイエット」を実践しました。今考えるとものすごくストイックな糖質制限ダイエットで、菜食かつ糖質抜きの食生活。主食は小松菜などの青葉っぱで、毎日1.5リットリ以上のお水を飲んで……というもの。それを1年半ほど続けていくうちに、アトピーもすっかり出なくなり、体質が改善されたんです。そればかりかいつも気持ちがポジティブで、思考がクリアに。そういった経験をして、植物がもつパワーを身をもって感じたのです。それをきっかけにアロマの勉強を始めました。同じ頃、ちょうど家の隣に当時では珍しかったオーガニック食材や雑貨を扱うスーパーがあり、いろいろなことを店員さんから教えていただいたことも大きかった。
神田 そんなナチュラルライフの延長線上に、逗子に住むという選択が芽生えた?
早坂 そうですね。4年間だけ逗子に住み、都内の仕事現場に通っていました。逗子はオーガニックスーパーも多く、また地産のものを積極的に食べる食文化が根付いている土地で、海があるからか排水や環境意識も高く、環境によい物や行動を選んでいる人たちも多かったのです。そういったコミュニティの中で、私もいつか自分で環境にも肌にもいい、自分が納得できるオーガニックコスメをつくりたいな、と自然に考えるようになりました。
神田 逗子に住み始めた頃から、メイクアップだけでなくライフスタイルまでプロデュースするアーティストだというイメージになってきましたよね。
早坂 逗子に引っ越してすぐに、『ELLE ONLINE』でブログを始めるようになって、ライフスタイルやオーガニックのこと、食事のことを載せ始めました。このブログがきっかけで初の書籍『YOU ARE SO BEAUTIFUL 〜最高の私に出会う7日間〜』を出版する話もいただけたし、逗子に引っ越したことで、物事が動きだしたというのはあるかもしれません。コスメをつくりたいと本気で考えるようになった時に、資格を持っていたほうが説得力があると考え、アロマテラピーインストラクターの資格も取得しました。
誰とも替えのきかない「早坂香須子」になるために
神田 とにかくコツコツ続けてきたからこそ、周囲の人に思いが伝わって、次々の新しい仕事を引き寄せて行ったんでしょうね。仕事が忙しいと、何かをやり続けるのは大変。そもそもはじめの一歩が踏み出せないという人も多いように思います。行動力や、勉強を続けるための秘訣って?
早坂 やっぱり何事も、始めることより、続けることが大変なんです。たとえば、私の場合、アロマの資格をとるために千葉の先生のもとへ通うのが、仕事が不規則だったので本当に難しかった。しかも、先生が沖縄に移住されることが決まってしまって。心から習いたいと思える先生って、なかなかいないものだと分かっていて、どうしてもその先生に習いたかったので、2週間お休みをとって沖縄の先生の家に合宿。そこで集中して勉強させていただきました。こういう話をすると、なんでも即飛び込んで行動を起こすタイプかと思われるのですが、実はそうでもないんです。悩んだり考えたり、段階を経て踏み出すことのほうが多い。でも、実際行動にうつしてみると、毎回「早いほうがよかった!」って思うんです(笑)。だから、最近は、できるだけ早く飛び込むように意識しています。もちろん、勉強はお金もかかるし、時間もかかる。でもきちんと学び続けたら、絶対にお金は後からついてくる! 本当に学びたいと思うならば時間だってつくれるはずなんです。勉強は、投資。私は若いときから勉強にはとてもたくさん投資をしてきたけれど、確実にそれは大きな実となって自分に返ってくると実感できています。
神田 一昨年にはオーガニックスキンケアブランド「ネロリラ ボタニカ」も立ち上げて、30代の頃に夢見た「オーガニックコスメをつくる」ことも叶えています。目標が形になっていきますね。
早坂 作ってみて初めて気づけたこともあります。はじめは「自分がいいと思うもの」をつくることだけが目標でしたが、それだけではダメなんだ、と思うように。売れるってこと自体が、「人に認められた」という証だし、それこそが働く喜びにもつながります。オーガニックのものは、生産者の方々とも直接つながった取り組みでもあるので、地球環境やつくり手の方々にリターンすることもできる。プロダクトを購入いただくことで、そういった循環型の社会へ皆が参加できるようになることも大切だと考えて商品を開発するようにしています。
神田 私も「ナナデェコール」で、オーガニックコットンのアイテムを作っているので、その気持ちはすごくわかります。私はナイトウエアを通して届けたいのは「着ることでゆるんでほしい」「もっとよく眠れば、ストレスをリセットできるよ」という気持ちの部分。オーガニックはその想いが大切だな、と。
早坂 私も最近それに気がつきました。コスメを使って「肌が変わった」「きれいになった」という感動の先に、ブランドの取り組みを知ってもらえればいいなと思っていたけれど、ちゃんと伝えていかないと届かないこともあるんだな、と。「ネロリラ ボタニカ」のイベントで、耕作放棄地を畑にして収穫された植物で製品ができているというスライドを見た瞬間、お客様の目が輝きだしました。「自分が日常で使っているものが何かの役に立っている」ことが、皆の喜びに変わるのだと実感できた瞬間です。人生はひとつひとつの選択が積み重なった結果だと思います。その選択肢のひとつをしっかり届けたいから、伝えることもプロダクトをつくる私の責務だと思うようになりました。
神田 つくることの先に目的がある。たくさんある情報の中で、いかに自分らしいものをキャッチするか、出会えるかが、これからの私たちの生きるポイントですよね。毎日使うコスメも、畑の役に立てる。この仕組みに気づくと、選択するものが変わり、また新しい使命が生まれる気がします。
早坂 まさに今、そんな感じです。若い頃はずっと「メイクアップアーティスト・早坂香須子」という肩書きにこだわってきたけれど、今となったらメイクもするし、コスメもつくるし、いまは「ナナデェコール」で恵実ちゃん(編集部注:聞き手・神田さん)と一緒にオーガニックコットンで洋服までつくりはじめました(笑)。ひとつひとつが大切で、すごく楽しい! 実際に反響があったり、喜んでいただけたりもして、今はもうただの「早坂香須子」でいいやって。肩書きなんてなんでもいい、と思えるようなってきました。
神田 「自分らしく生きる」を選んだら、自分のなかにたくさんの引き出しがあった。ひとつひとつ開けてコツコツと取り組んでいったら結果に結びついた。誰も才能はどこに潜んでいるかわならないし、どれもチャレンジですね。
早坂 去年の年末くらいかな。「“早坂香須子”として、替えの効かない人間になろう」と思ったの。「メイクアップアーティストとは」とか、「こうでなきゃいけない」みたいな制限を外して、自由になることで、だんだん替えの効かない人間になっていくのかな、それでいいのかなと、今は思っています。
神田 いったいどこまで飛躍してしまうのか? 次のステージがますます楽しみです!
対談を終えて……
メイクアップアーティストという枠組みを超えた活躍が目覚ましい早坂さん。私が雑誌の現場にいた頃から、興味の幅も広く、物事をぐんぐん吸収していくパワーがありました。ナナデェコールでも数年、一緒にワークショップなどを開催していますが、回を重ねるごとに、内容もバージョンアップ。常に勉強したことを自分の糧として、今度は皆さんにわかりやすく伝える側になる。そんな姿はメイクアップアーティストとしての枠を超えた表現者だといつも思います。そして、今回その根底には、苦労や葛藤、そして努力があったことを知り、日々を積み重ね、自分らしさを見つけていくことの大切さを改めて実感しました。
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