2018.4.5
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【メイクアップアーティスト 早坂香須子さんインタビュー】自分らしい居場所を求めて<前編>

100年時代と言われるいま、これからの生き方を模索しているひとも多いと思います。ライフスタイルはひとそれぞれ。「自分らしい生き方を見つけて欲しい」という願いが詰まったnanadecor(ナナデェコール)ディレクターの神田恵実さんによる連載第3弾となる対談相手は、ご自身の友人でもあり、同志でもある早坂香須子(はやさかかずこ)さんです。メイクアップアーティストの枠を超え、コスメプロデュースやオーガニックブランドの情報発信など多方面で大活躍されている早坂さん。現在は華やかにメディアで活躍する彼女も、若い頃は葛藤や苦労の連続だったといいます。貴重な看護師時代の話から現在に至るストーリーをうかがいました。

早坂 香須子/ビューティーディレクター、メークアップアーティスト。1973年生まれ。看護師として3年間大学病院に勤務後、メークアップアーティスト・yUKI氏のアシスタントを経て1999年に独立。国内外の多くのモデル、女優のメークを手掛ける。自身がさまざまなタイミングで自然の治癒力に助けられたことから、アロマテラピー・植物学を中心としたオルタナティブな療法を学び、2013年にAEAJ認定アロマテラピーインストラクターの資格を取得。近年はメークにとどまらず、オーガニックプロダクトの監修やトークショーでの登壇をはじめ精力的に活動している。女性誌やSNSではそのライフスタイルも話題に。著書に「100%Beauty Note 早坂香須子の美容AtoZ」(KADOKAWA)など。


自分らしい居場所を求めて、看護師からメイクの道へ


神田 自分や周りの女性たちを思い返してみても、今の40代は若い頃からがむしゃらに走ってきて、頑張り続けた結果、気がついたら今の年齢になっていた、と愕然とされている方も多いように思います。漠然と不安や焦り、はたまた物足りなさを感じてるというのでしょうか。私たち2人もその世代だけれど、そんな中で、早坂さんは着々と自分の道を、自分らしく確立していった人という印象があります。まずは、どのような経験を経て、今のような独自のポジションを築いたのかをうかがいたいと思います。メイクアップアーティストになる前は、看護師をしていたのですよね?

早坂 看護学校を出て、看護師として東京の大学病院に3年間勤めていました。その後ヘアメイクの専門学校に通って、パリから帰国されたばかりのメイクアップアーティスト・yUKIさん(モード界のメイクアップの第一人者。来日する数多くのセレブリティのメイクも担当)のアシスタントについて、この道に入ったのです。

神田 すごく振り幅の大きいワークシフトですね。看護師から全く違うメイクの仕事に挑戦したのはなぜですか?

早坂 学生時代に「看護師になりたい」と言っていた親友を、「自分がなりたいものを持っているなんてかっこいいな」と見ていました。10代の私にはなりたいものがまったく見えていなかったので、「私も看護学校に行けば親も喜ぶかな?」「病院に就職したら都会に住めるかも?」と、本当にそれだけの理由で看護師になることを決め、寮に入り、東京の大学病院で働くことを選びました。いざ働いてみたら、先輩、同僚、ドクターに恵まれて、すごく楽しかったんですよ。働いていたのは外科系の耳鼻科でした。生死に関わるような科ではないと考えていたのですが、大学病院だけに重度の患者さんもいらして。患者さんの病状だけを見るのではなく、精神的な負担も受け止めなければならない。人間の根源に関わる仕事なのだと痛感する日々でもありました。

 
ネックラインがすっきりとしたフレッドシーガルのニット。シンプルなアイテムこそ素材やカッティングが光る上質なものを。

神田 「東京に行きたかった」というスタート時の思いから考えると、かなりギャップがあったのですね?

早坂 そうなんです。人に恵まれ、とても楽しく仕事をしていたのですが、2年目、3年目になると、だんだんとルーティーンワークになっていく。特に、夜勤は翌日の日中に使う全ての道具を朝がくるまでに準備する仕事もあったので。たとえば、1時間に1度の病室の見回りをしながら、24時間分の点滴を詰めなくてはいけない、という。とにかく仕事量が多くてハードだったので、ルーティンにしていかないとやっていけないという部分が大きかった。そうやって仕事をまわしていたある日の深夜、重度の患者さんに足をさすってほしいと頼まれました。もちろん、さすっていたのですが、先輩にすぐに代わるよう言われてしまったんです。私よりずっと忙しいはずの先輩が、その方の足をひたすら献身的にさすり続けている姿を傍で見ているしかなかった。その姿を見ながら先輩と私はいったい何が違うのかと考え、それで、患者さんは痛みを軽減してほしいだけではなく、人のぬくもり自体が欲しかったのだな、と気づきました。私は、さすりながらも、その夜に自分がやらなくてはいけない仕事をずっと考えていて、患者さんの目すら見ていなかった、と。本当に、そんな自分がショックで、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。「私はここにいるべき人間じゃない」「患者さんに寄り添うことができていなかった」と痛感しましたし、同時に、“手”はひとのぬくもりや、愛情や、想い、すべてを伝えるツールなのだという気づきもありました。

神田 医療現場は想像以上に過酷ですね。命と向き合う壮絶な現場で、みんな本気で仕事をしている。その中で、正直な自分の気持ちをみつけてしまった。

早坂 自分が人に対して真摯で優しくあり続けるためには、心から没頭できること、好きなことをしていないと結局はダメなんじゃないかと思うようになりました。それがキッカケで、記憶をたぐりよせ、自分の好きなことを掘り起こしていったんです。子どもの頃、お母さんのメイクボックスを内緒で使ってメイクをするのが好きだったこと、看護師になってからも休日に同僚にメイクをしてあげていたこと、そういったことを思い返し、「ヘアメイクの学校に行ってみよう」と。大学病院を辞めて、派遣の看護師としての収入を得ながら、ヘアメイクの学校に通い始めました。

神田 かずちゃんの手の優しさは特別。その愛情深い包容力は、看護師時代の壮絶な経験から生まれたものだったのかと、納得しました。

早坂 手からぜんぶが伝わるのだと思います。だからメイクをするうえで、モデルさんがとにかく気持ちよく、心地よくいてくれるかを大事にしています。仕上がりを見て「わぁきれいになれた!」って喜んでもらえるように。もちろん撮影はチームワークで、みんなでいいものをつくりあげていきたい。でもメイク中は目の前のモデルさんに集中して、ニュートラルに「今この時間を、すべてあなたに捧げます」という気持ちで挑んでいます。

その日のスタイリングによってメイクの雰囲気を変えて。今年はブラウンやグレーのアイラインを使った「目力」が運気アップの鍵に。


順調だったアシスタント時代。一転、独立後は苦悩の連続に


神田 ナースという手に職があったから収入が確保でき、並行して学校に通うことができた。それで、卒業後、パリから帰ってきたばかりの、yUKIさんに師事されたんですよね? ファッション業界で話題の人のアシスタントになれて、出だしは順調だったのでしょうか?

早坂 私も、専門学校時代から、大きく言えば“立体”をつくるヘアと、“平面”をつくるメイクはまったく別のものだと思っていたんです。でも、当時はヘアとメイクの仕事をひとりで担当するのが当たり前の時代でした。学校を卒業して、ヘア&メイクアップアーティストではなく、メイクアップアーティストとしての仕事だけをやりたい私には、なかなか仕事がありませんでした。ウエディングの撮影や、いろいろ経験はしたものの、とにかくメイクだけでは仕事がない。そんなときにパリからメイクアップアーティストのyUKIさんという方が帰ってきて、アシスタントを探しているというのを聞いたんです。会いに行ってダメだったらメイクアップアーティストの道は諦めよう、と決死の覚悟で面接に臨みました。そして、ラッキーなことに、無事に初代のアシスタントとしてつかせてもらえることに。1年間、たくさんのことを学ばせてもらいました。特に大きかったのは、「メイクって顔だけじゃない」ということ。たとえば、顔に艶をのせたら、ボディにも艶をのせる。ボディも含めて肌をつくり込むことで、1枚の写真になったときに肌が放つパワフルさが伝わるビジュアルができるんです。

神田 そういったyUKIさん流のメイクアップは、それまでの日本にはなかった概念でしたよね。でもアシスタント期間は1年と、独立までの期間が通常より早いような気も?

早坂 アシスタントのメインの仕事は、師匠のサポート。私は看護師だったこので、サポートがかなり上手だったんだと思います。例えば、現場で空き時間ができると、不安そうな外国人の若いモデルさんにマッサージをして気持ちをほぐしリラックスしてもらったり、むくみがとれて脚の形が変わったり、顔の血色が良くなったり。その後の撮影がスムーズになるので、現場のスタッフにも喜ばれました。自分で言うのも何ですが、なんでも器用にこなせたのでyUKIさんから「このままだと私のコピーになってしまうから、もう独立したらどうかな?」と。自分の予想を遥かに超え、かなりの早さで独立が決まったと思います。

優しい色味のスタイリングには大振りのアクセサリーでポイントを。バングルはティファニー、時計はヴィンテージのカルティエ。


独立後も続く、自分の居場所探し


神田 独立してからはもう順風満帆に?

早坂 それが1年のアシスタント期間ではまったく人脈も作れず、出版社にプレゼンするための自分の作品もほとんどなくて、バイト三昧の日々でした。気持ちはすごく焦っているのにどうしたらいいのかも全くわからない。「辞めて看護師に戻ろうかな」「また学校に通って助産師になろうか」とまで考えました。

神田 そこまで考えて、この世界に踏みとどまらせたものは?

早坂 辞める決意を伝えたときの、yUKIさんと父の言葉です。yUKIさんは「看護師の仕事も素敵だよね。後輩たちの名前を雑誌のスタッフクレジットで見たときに、自分が悔しいと思わないんだったらいいと思うよ」と。それを言われた瞬間、ぶわーっと涙が出てきて「悔しいです」と大泣きしました。メイクアップアーティストとしてまだ何もしていないのに、営業がうまくいかない、時代の潮流が得意とするメイクと合わない、などを言い訳に、ただ逃げていただけだということに気づかされました。

神田 お父様はどんなことを?

早坂 父には「看護師を辞めたときの決心はなんだったんだ。がっかりだ」と。この言葉はすごく胸に刺さりました。それを傍で聞いていた母にも「お金のことはなんとかするから、好きなことをやりなさい」と言ってもらえて。両親にも師匠にも、助産師になるという私の決意が、単なる逃げの選択だと見透かされたようで。夢ともう一度ちゃんと向き合い、自分からぶつかっていこうと思い直しました。それからは週に1回は仲間と作品撮りをして、どこかでメイクアップアーティストを探していると聞いたらすぐに手を挙げ、積極的に動き始めました。次第にクリエイターたちとつながりもでき、だんだん仕事の声をかけてもらえるように。営業に回っていた時にはまったく仕事に結びつかなかったのに、営業をせずとも仕事が入るようになっていきました。
 

聞き手:神田恵実nanadecor ディレクター/Juliette主宰 ファッションショーの制作、編集プロダクションを経て大手出版社に勤務。後にJuliette.incを設立しファッションエディターとして、女性誌や書籍の編集、国内外のファッションブランドの広告、カタログやウェブ制作などを手がける。2005年にはオーガニックライフの素晴らしさと必要性を伝えたいと、「nanadecor」をスタート。プロダクト開発のみならず、ワークショップの企画、女性の雇用支援など、衣食住、様々な視点から、オーガニックライフをトータルで啓蒙。現在はオーガニックに関するコンサルティングやディレクション業務、睡眠の重要性を伝える活動、幼児教育に関するアプローチを始める。リマクッキングスクール師範科卒業、睡眠改善インストラクター。AMPPルボアフィトテラピーアドバイザー。


後編は、メイクアップアーティスの早坂さんが、現在の立場を確立するにいたった経緯。そして、自分のキャリアにこめた思いとは? 

4月12日公開予定です。お楽しみに!

撮影/林洋介 取材・文/神田恵実