いまこそ知りたい、米沢の歴史と伝統を訪ねて【from米沢サテライト】
歴史の語りべ。刺し子が伝える名もなき人々の思い
まだ布が貴重だった時代に、衣服の補強や修繕のために広まった刺し子。なかでも米沢の『原方(はらかた)刺し子』は、武家の妻だけに受け継がれたという独特のものです。刺し子作家の遠藤きよ子さんに、このような手工芸が生まれた背景、また刺し子が現代に伝えるメッセージをうかがいました。
「昔、ここを治めていた米沢藩は大変に貧しかったもんで、武士へのお給金が出なかったの。みんなその日の食べ物にも困る生活で、武士にとっての制服である裃(かみしも)も、すり切れたら直し、破れたらまた直してね。そういう生活のなかで生まれたのがこの原方刺し子なんです。
普通、刺し子といったら農家のお嫁さんがやるもので、家事と畑仕事の合間に済ませないといけないから、当て布をしてひたすら直線で縫うだけ。けど武家の奥方じゃ畑に出たくても出られないし、何より武士としての誇りがあるから、時間をかけて絹織物と同じ模様を縫い付けたのね」
「縁取りの鎖(くさり)縫いは、“みんなで手を取り合って頑張ろう”という意味があるの。きっと厳しい環境の中で、ほかへ逃げ出す人もいたんだろうね。とはいえ本音を言えば、みんなもっと楽な暮らしがしたかったはず。そういう口には出せない思いも、柄の一つひとつに込めたの。『銭型』は“お金が欲しい”、『米刺し』は“粟やひえよりお米が食べたい”って気持ち。当時の人が今の私たちの生活を見たら、食べ物を粗末にするなってきっと怒られるよねえ」
冬の時代と、その中で守り抜いた武士の誇り。一針一針にさまざまな思いが込められた原方刺し子そのものが、米沢の“歴史の語りべ”といえるでしょう。しかし、これを受け継いでいるのは現在では遠藤さんただ一人。遠藤さんが始めた時には、伝統工芸としてはほとんど廃れてしまっていたのだとか。
これまでの作品が飾られたご自宅のギャラリーにて。着物のような大作になると、製作期間は数年に及ぶとか。
「私は米沢の歴史を研究していた大学の先生に教わったけど、その先生ももう亡くなられているし、米沢は大正6年、8年と二度の大火があって、資料になるようなものは何も残ってないんです。だったら自分で残すしかないと、今はそういう気持ちで続けています。柄の由来や昔の人たちの思いを知ったら、これは次の世代にも伝えていかなきゃと思うようになってね」
現在は多数の生徒さんを抱え、体験教室なども行っているそう。原方刺し子の素晴らしさとともに、米沢の礎を築いた人々の思いがこれからも伝えられていくことを願うばかりです。
「刺し子工房 創匠庵」
住所:米沢市門東町1-1-11
tel. 0238-23-0509
10:00〜17:00 不定休
入館料250円(中学生以下200円)
※刺し子体験は要予約
- 1
- 2