昨年のゴールデングローブ賞からこちら、映像のあらゆる賞を総ナメにしている『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』、そのシーズン2の配信が8月29日からHuluで始まるようです。気づけばネットストリーミングばっかり見ている私は「おおおお!」と興奮しきりですが、日本ってまだまだ意外と地上波テレビが主流だから知られてないのよねー。なんでかなー、1か月1000円足らずで、レンタル店いらずなのになー(とかいいつつレンタル店もヘビーユーザー)。

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クリエイター:ブルース・ミラー 監督:マイク・バーカー、カリ・スコグランド 原作:マーガレット・アトウッド 「侍女の物語」(早川書房)  出演:エリザベス・モス、イヴォンヌ・ストラホフスキー、ジョセフ・ファインズ、マックス・ミンゲラ、マデリーン・ブルーワー、アレクシス・ブレデル、アン・ダウト 他 The Handmaid’s Tale © 2018 MGM Television Entertainment Inc. and Relentless Productions LLC. All Rights Reserved.


まあそんなわけで、『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』。子供を産む能力がある女性たちが片っ端から捕らえられ、再教育された上に「子を産む奴隷(=侍女)」として権力者に仕えさせられる、“ご主人様がメイドに手を出し婚外子をもうけちゃう”的なそこはかとない男性願望の世界を悪夢的に表現した、近未来ディストピアものです。

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The Handmaid’s Tale © 2018 MGM Television Entertainment Inc. and Relentless Productions LLC. All Rights Reserved.

こんな世界になったらたまったもんじゃないなあと思うのですが、今の日本にはこれの「ふわっと版」みたいな発言(例えば「『子供産まない』は勝手な考え」とか)を「何が悪いんですか?」的テンションで普通に言っちゃう政治家がいたりするので、なんとまあとしか言いようがありません。

「LGBTの非生産性」で最近話題の杉田水脈議員は、まさにそのニューカマー。「トランプってマジめちゃくちゃだなー」と思っていたら、いやはや、日本も他人事と思えなくなってきました。あまりの暴言にモヤモヤしちゃって仕事にならん!という人が続出で、この言葉それ自体が日本の生産性をダダ下がりにしているのでは!と思わなくもありません。
とはいえ脊髄反射するのもなんなので、今回は、いわゆる「生産性のない」人生を送っている私が、「生産性」について考えてみることにしました。


国は会社じゃないし、国会議員は「会社の偉い人」じゃない


さてそんなわけで「生産性」。共産主義(スターリンとか)とか全体主義(ヒトラーとか)の独裁者たちが大好きな言葉、「生産性」。よもやこの単語が、「出産する/しない」を語る言葉になるとは思ってもみませんでした。今後、もしかしたら日本では、「出産」を「生産」と言い換える時代が来ちゃったりするかもしれません。

お姑さんが息子夫婦に「生産時期はいつですか?」なんて聞いたり、双子三つ子が生まれた夫婦を「量産体制」、結婚して子作りに励むカップルを「生産ラインがフル稼働」と言ってみたり。「たいへん新製品が転んで擦りむいた!」な幼児期、「傷モノにならないよう大事に育てないと高く売れない」な10代20代を経て、生産30周年を前に「早くしないと売れ残る!」なんて言ったりして(このあたり普通に使われてるような)。いうたら夫婦は生産工場で、女性は「生産するマシン」、赤ちゃんは新製品、戸籍は商品登録みたいな感じでしょうか。

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写真:shutterstock

ここに感じる違和感は「人間をモノとして扱う」ことだと思いますが、さらに「生産性の低い(子供のいない)カップルに、国は税金は使えない」と付け加える、それを国会議員が言うとなると、違和感はめちゃめちゃ高まります。これってまんま「生産性の低い人間には会社は給料を払えない」って言うのと同じでは……?

でもでも、会社は利益追求が目的だけど、国はいざという時に助けてくれるものとしてあるのでは? そもそも国に給料もらっていないし、むしろ逆に税金払ってるのでは? そして国会議員って「会社の偉い人」じゃなくて、私たちの不都合をどうにかするために、私たちが雇っている人たちなのでは?
 

子供を産まない、仕事をもたない、私たちの「非生産性」


この話を良くも悪くも「LGBT差別」と思っている人は、ちょっとのんきかもしれません。というのも、ここで「生産性」と「税金」の関係性を許したら、あらゆることが「生産性」で測られるようになってしまう可能性があるから。「子供を持たない夫婦」「子供を持たない独身者」「主婦」「主夫」「ニート」「病人」「老人」「子供」「障がい者」「頭が悪い」「身体が小さい」「体力がない」「のんびりしてる」「田舎に住んでる」……と、あらゆる人が「生産性が低い(子供を産まない、金を稼げない、手間がかかる、消費をしない)」と断じることができるからです。

でもって進んでいくのは、2つの意味での「マシン化」です。

ひとつは「人間の仕事を、より生産性の高い機械にやらせること」。あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」はその最たるもので、身近なリアルとしてはスーパーで増えているセルフレジ。確かに1品2品の買い物には便利だけれども――セルフレジに商品を通しながら、私は思います。いつものスーパーの土曜の昼間にいたレジ係――他のレジ係がレジを打つだけの間に、さささっと手際よく袋詰めまでしてくれる、スーパープロフェッショナルwith笑顔な彼女のことを。もしスーパーの偉い人が、彼女は「レジを打つマシン」でなく「人間」と思って見ていたら、別の「レジを打つマシン」に変えなかったんじゃないかなあと。

もちろんマシン化できない業務もありますね。その場合に進むのが「特定の人間を、マシンとして扱うこと」。そこにあるのが、例えば女性を「子供を“生産する”道具」として扱う『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』のような世界であることは、言うまでもありません。