介護体制については何度も何度も話し合った


そうして入院から1年半の月日を経て、渡辺さんのお父様は自宅へ戻られることに。それはちょうど、介護保険制度がスタートした2000年の春でした。

 

「もしも私が介護される側なら、その姿を赤裸々に語られたくはないと思うので、両親のことではあっても言葉を選びつつ、お話できる範囲でお話しますね。というのも、昭和生まれの親世代は介護の季節を迎えても、子どもや孫たち、これからの社会の役に立つことができればとどこかで願っていると間近で接していて感じます。年若いヘルパーさんに『ありがとう。私を持ち上げたりして、あなたの体は大丈夫?』なんて気遣ったり、看てもらって『申し訳ない』という気持ちが先立つようです。だから、ほんの1サンプルですが、我が家の介護をお話することで少しでも何かの足しになるなら、という親の思いを娘としては代弁できればと願っています。
退院した時の父は要介護認定で最重度の『5』で、手術後に併発した肺炎から胃ろうをしていたこともあって、主治医の先生にどのくらいの頻度で往診に来ていただくか、どんな福祉器具をレンタルするか、訪問看護やヘルパーさんの時間帯など、プランを立ててくださるケアマネージャーさんとミーティングを重ねました。その結果、往診は週に1回、ヘルパーさんには毎日午前中に30分、午後に1時間、訪問看護師さんには週に2回来ていただくことに。同時に、自宅も父が療養できる状態に整える必要があるのでバタバタと迎える準備をして。如何せん介護保険の初年度でしたので、ケアマネージャーさんもヘルパーさんも皆手探りの状態でのスタートでした。」

 

家族ですべてをおこなうことは難しい


介護体制を整え、渡辺さんはその後もそれまで通り仕事を続けられました。一方で「ワンオペ介護」という言葉も生まれているように、「第三者に看てもらうことに抵抗がある」とヘルパーさん等に頼らずすべてを家族だけでおこなおうとする人も少なくありません。その心理についても、渡辺さんに伺ってみました。

「ヘルパーさんや看護師さんなど、第三者の手を借りることに不安を感じたり、罪悪感を抱いてしまう気持ちはよく分かります。母の場合は実家が耳鼻咽喉科で、子どもの頃から医師や看護師さんに囲まれた暮らしだったので、父の自宅療養が始まって介護職の方々と日々接しても、緊張したり違和感を持ったりすることはなかったようです。若い頃からリウマチを患っていた影響もありますが、実際、父の看護に張り切り、頑張りすぎて細い骨を圧迫骨折していた事実が後から判明したこともありました。自分で看てあげたいと思っても、体がついていかないことは多々あります。また、介護保険だけでカバーしきれない場合は自費が発生するので、一家の収入がなくなってしまうと暮らし自体が成り立たなくなる可能性も否めません。仕事のペースは変えても何とか続けていけるよう道を見つけつつ、介護職の方々の手も借りてコーディネートしていくのが、自宅介護の場合は現実的なのではないかと感じています」

第三者の手を借りることは、決して“自分が看ない”ということではありません。そのことを納得してもらえるよう丁寧に伝えることも、介護においては大切になってくるようです。

「4年前には、長年神戸に住んでいた夫の両親も拙宅近くに引っ越してきてくれました。私は遅い結婚で、2008年41歳の時に4才上の夫と夫婦となったのですが、親同士も同世代。2014年に義父に前立腺がんが見つかり、義父としては義母がひとり残された時のことを考えたのでしょう……、誰にも相談せずに故郷の神戸から息子夫婦の住む横浜に移る決心をしてくれたんです。引っ越してきた当初は、私が50年近く前に卒園した幼稚園の小さな教会の日曜礼拝に二人で連れ立って楽しそうに通ったり、穏やかに暮らしていたのですが、亡くなる2ヵ月くらい前から義父の体力が落ちました。その時でも、家のなかのことは全てひとりで切り盛りしてきた義母にとって、介護職の方々の手を借りることには罪悪感があるようでした。バリバリ働いていた頃の義父がお正月に同僚や部下の方たちをたくさん自宅に招いても、昆布巻きを大きな鍋で炊くなど、おせちは全部ひとりで手作りするようなスーパー主婦の義母です。義父の看病も、他人に任せたり頼ったりすることに、どうしても抵抗を感じてしまうんですね。このままでは義母が倒れると思い、看護師さんやヘルパーさんをお願いするよう夫や私から言ったのですが、なかなか納得してもらえず困っていたところ、長年、私の親を担当してくれているケアマネージャーさんが『私から話してみましょう』と申し出てくださって。義父母と出身地が近かったことから意気投合し、介護職のプロとして『お母さんが倒れてしまったら、誰よりもお父さんが困っちゃいますから。ヘルパーさんと一緒なら介護のし方もたくさん覚えられますよ』と優しく説得してくださった結果、義母も素直に応じてくれて義父を看ていただく体制を整えることができました」

いざ入ってもらうとお義母さんは「お父さんへのケアがいき届く」「いろいろお話していると自分自身の心も軽くなる」と喜ばれていたそう。最終的には渡辺さんのご両親と同じ医師に診てもらい、週二回の訪問看護も入ってもらうようになったそうです。

 

「義父も昭和の男性で、弱音を吐かない人だったのですね。体がつらくてお風呂に入れなくても歯磨きできなくても、いちいち説明せずに『もう、ええ』としか言わない。殿方って、概してそうですよね。そうすると義母としては『何で?何か足りないのだろうか?なぜ、お父さんのためを思って言っているのに私の言うことは聞いてくれないんだろうか……』と、ストレスを貯めていってしまう。でも、看護師さんが義父のバイタルを計り、主治医の先生からその説明を受けるようになってからは、義母も納得して頑張りすぎることがなくなりました。医学的に専門家に託すメリットはもとより、精神的にも家族間で煮詰まってしまいがちな空気も、第三者に入ってもらうことで風通しが良くなる面もあるように感じます。義父も、看護師さんに『水分をもっと摂りましょうね!』と促されると『そやな、ウイスキーならな!』なんて冗談を言ったり、闘病ではあるけれど、ともに過ごせる楽しい時間でもありました。縁あって嫁となった身としてはもっともっと何かしてあげたかったけれど、義父の最期の日々に笑いをもたらしてくださった介護職の方々には感謝の気持ちが尽きません」


渡辺さんのお話から、具体的な介護事情や、介護する人、される人の心理が垣間見えてきたのではないでしょうか。今回のインタビューでは、親の老いとの向き合い方、そして自身の老いへの心の準備についても伺いましたので、12月11日公開の後編でお届けしたいと思います。

写真/塩谷哲平
取材・文/山本奈緒子
構成/柳田啓輔
 
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