クリスマスは家族と過ごし、12月26日には早速どこかにウインターホリディへ出かけるのが、ヨーロッパでのお決まりです。
独身時代や子供がいなかった頃は、ニューイヤーズパーティをどこで過ごすのか、どうやって一番楽しそうなパーティに参加するのかが、大きなテーマでした。
ストックホルムやケープタウンでのクレイジーなパーティの後の二日酔いは、今でも思い出すだけで気持ち悪くなります。
子供ができて次男が5歳になった頃から、私たちもまたウインターホリディのたびに、どこかに行くようになりました。
子供と一緒ということで私が考えたのは、冬は夏とは違った冒険の旅 。
いつもと違ったことをする、“体験する旅”です。
最初はバリ島で蛇を首に巻くのがテーマ。
もちろん子供たちは大騒ぎで嫌がっていましたが、本当はヘビなど絶対に嫌いな私が見本に。そのあとはもちろん二人の息子たちは大騒ぎして、「やらせて、やらせて!」です。
その次の年はインドネシアのレンボンガン島で、朝4時から地元の漁師さんの本当に小さな船で魚釣り。今思えば、大波の間をライフベストも付けさせずに、かなり無謀な行為でした。
そのあとはアフリカ、タンザニア。セレンゲティで初めて移動する動物の群れの先端を見ました。ゼブラに始まり、そのあとに続いてやってくるたくさんの動物たち。たぶん、彼らの中で一生忘れない光景の一つであると思います。
初めてのサファリでは、映画『愛と哀しみの果て(OUT of AFRICA)』が撮影された&Beyond Klein’s Campのロッジに宿泊。
私たちの隣とはいえ、夜、ライオンの声を聞きながら眠るのは、子供たちにとってはかなり怖かったのでは。
しかし翌日、午後のお昼寝の時間には、二人で絵を描いてそれがどの動物なのか当てっこする大きな笑い声が、隣のテントから聞こえてくるように……まるで昨日のことのようです。
Grumeti Riverでは、朝食のテーブルのすぐ前に、カバがプカプカ浮かんでいる川が。その向こうにはライオンが飛び跳ねているのです。
サファリで過ごしたあとは、Mnembaというプライベートアイランドに。
スキューバダイビングでイルカと泳いだり、大きなウミガメが目の前にやってきたり、そこはまさに海のサファリです。
子供たちはバンガローの前のビーチにたくさんの迷路を作ってそこに小さなカニを歩かせ、私たちを招待し、「ようこそ海のZooへ」などと言いながら、楽しそうに説明してくれたものです。
別の年にはゴリラを見に行ったウガンダで、ジェノサイド(集団虐殺)で両親を亡くした子供達の孤児院を訪ねました。
帰国後、子供たちは自らFootball for Fun FFFというチャリティーを始めたのです。
ルワンダや、タンザニアの孤児院に行って一日一緒にサッカーをして遊んで、フランスに戻ってくると、そのチームのエンブレムをデザインしてユニフォームを作り、さらに背中に名前を入れて送っていました。
資金は自分たちのおこづかいに、学校のベイクセール(資金集めのバザー)などでカップケーキやサンドイッチを売った売上金。そして日本から来る人におねだりして持ってきてもらったキャンディーなどを売って、1年間、集めていました。
ヨーロッパからキリマンジャロ(タンザニア)の飛行場に降り立つと、「ママ、この香り忘れられないよね」と必ず言っていました。
サファリでは朝4時半には起きて、朝日が昇る5時まで動物を見て、高台の丘に上がりスタッフの用意してくれた朝食を食べます。それはこの世のどんな朝食より美味しいのです。
ライオンの狩りやチーターの赤ちゃんたち、ヒョウが獲ったガゼルを木に持ち上げる光景、ワイルドドッグが群れで大きなゼブラを射留める場面、出産したばかりの赤ちゃんがいるゾウに車が間違って近づきすぎて威嚇され、本当に怖かったこと…… 。
すべての経験はどんなものにも変えられない思い出となっていると思います。
中でもいちばん楽しかったニューイヤーズパーティは、タンザニアにあるLAKE Manyaraのロッジでした。ロッジに勤めるまでは牛の血しか食べていなかった、マサイ族出身のダニエルという素晴らしいシェフの料理を食べ、キャンプファイヤーを囲み、スタッフと一緒に一晩中歌ったり、踊ったりしたのです。
その時のアフリカ語の歌を、二人の息子は今も完璧に歌えます。
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