自分で事業を興している女友達と飲んでいたときのこと。FacebookのCOOシェリル・サンドバーグさんが最愛の夫を亡くした後に『OPTION B』という著書を出し、更に今は近くに交際をしている人がいるとインタビューに答えていたことに触れ、女友達は「あそこまで自分のことをさらけ出せるのってすごい」と言いました。

OPTION B

そのときに、「シェリルさんは私も大変大変尊敬していて住んでいる世界は全然違うけれど、さらけ出せる人の気持ちは分かる気がするな」と言いました。その心は、後から誰かに発見されるよりは、別にやましくないことなんだから自分から言っちゃったほうが説明をちゃんと聞いてもらえるからじゃない?というもの。

したたかな戦略だと言いたいわけではなく、ある程度、発信をしている人にとっては「さらけ出す」方が楽だと思うのです。というのも、私も物書きをしていて、普段思っていること、やっていることについては本音を割とそのまま出している「さらけ出し系」です。そしてそのことに対して「勇気があるね!」と言われることが多いです。

さらけ出せるのがすごい、私にはそんな勇気はない!と言う人は、たぶん、プライベートを開示するのがコワイ、批判されたら嫌…と感じているのではと思います。もちろん、家族の個人情報などには私も注意しています。ただ、なんらかの形で自分が仕事で名前や顔出しで露出していると、表裏を使い分けることのほうがリスクになっていく気がします。

場面によって、そして、お仕事によっては、思ってもいないお世辞や社交辞令を言わないといけなかったり、大していいと思っていないものを売ったりしないといけないこともあるかもしれません。そういうのが社会人スキルで、全部開示してしまうのは「オトナ」じゃないのかもしれません。

世の中きれいごとばかりじゃないのも分かりますし、皆一つや二つ大きな秘密を抱えていたり、本当のことを言うことで誰かを傷つけてしまうようなこともあるかもしれません。自分が表に出すことで苦しくなるような出来事は、無理に外に出す必要もないと思います。

でも必要以上に、たとえば相手や場所によって顔を使い分けていると、段々複雑になり、ウソをつけばその埋め合わせに更にウソを重ねないといけなくなる。

「言ってることとやってることが違う!」「あの人には裏の顔がある」と批判されたり、何かを暴かれたりするのが怖ければ、自分の方針はできるだけ一貫させておく、間違ったり変化があったりしたときは素直に認める、理解してほしい内容は自分から言ってしまう、…というのが、「攻めは最大の防御」にならないでしょうか。

たとえば駐在妻のコミュニティにいると「周りは専業主婦ばかりで、自分はできれば仕事をしたいと思っていると明かせない」とおっしゃる方がいらっしゃいます。でも、一番最初の自己紹介などで言ってしまえば意外と周囲の人も「そういうタイプなんだ」と受け入れてくれ、場合によっては「私もだよ!」と仲間が見つかるかもしれませんし、「こんな求人があったよ」と情報ももらえるかもしれません。

もちろん何でもかんでもさらけ出せばいいというものではないですし、公にしなくてもいいことだってたくさんあるとは思います。ただ、過度に批判や同調圧力を恐れて、誰も思っていることを言わないというのは、理解しあえるチャンスも逃しているかもしれないなと思います。