女性がパイ(クリームがたっぷりのった紙皿)を投げつけられている衝撃的な写真で、西武・そごうの広告が大炎上した年明け。

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私は、どちらかというと文字に先に目がいくので、正直な第一印象としては「女の時代なんて、いらない?」の大きな文字が目に飛び込んできて、「おっ、変化球の問題提起型広告だなぁ」と思いました。

ちなみに、後から知りましたが、パイ投げは英語で隠語だという指摘もあるようです。ただ、英語圏で誕生日の女性がサプライズでお祝いされるのにパイ投げをされるというCMも見たことがあり、抗議などの際にも使われるようではありますが、必ずしも「陵辱」という意味に直結するとは捉えませんでした。

「女だから、強要される。
女だから、無視される。
女だから、減点される。
女であることの生きづらさが報道され、そのたびに『女の時代』は遠ざかる」

コピーをみてみると、報道されることと「遠ざかる」の関係は捉えづらく、そうとも言えないのではとも思いましたし、写真あるいは動画を見て、不快だという人の気持ちはわかります。確かに、わかりにくいし、受け止め方は色々だろうと。

でも、炎上騒動を見て、憎むべきは「女性が何かを投げつけられている世の中の現状」であり、それに対して闘いたいと考えている女性たちと、なんらかの問題提起をしようとした広告は本来敵ではないはずではと、残念な気持ちにもなりました。


「今年はいよいよ、時代が変わる。
本当ですか。期待していいのでしょうか。
活躍だ、進出だともてはやされるだけの
「女の時代」なら、永久に来なくてもいいと私たちは思う。

時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは一人ひとりがつくる、
「私の時代」だ。
そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。

わたしは、私。」


「わたしは、私」としていることで、どことなく、パイを投げてくる相手、あるいはそういった社会状況を責めずに被害者側の捉え方次第のように見えてしまうという批判もわかります。投げ返すくらいしてほしいという声にも共感します。

でも、動画を見ると、安藤サクラさんの力強い物言いで、シャドーボクシングのような闘うポーズをしているシーンもあります。

女性活躍、女の時代と言いながら、結局蓋を開けてみれば女性が「女だから」というだけの理由で不利益を多々受けている理不尽な現状。それはもう過去のものにしよう、と異議申し立てをする広告だったのではないのでしょうか。


女だからかくあるべき、男だからこうでなくてはならない、ではなく、「わたし」が消費も人生も決めていくーー。本来そのコンセプトは、批判している人たちにも共通の願いのはず…。

2018年は、様々な形で女性が声をあげ、これまでの権力を握ってきた男性たちが人権を無視してきた現実が浮き彫りになった年でした。2019年は、パイを投げられた人が立ち向かい、もうパイを投げられない年になってほしい。元号も変わるわけですし、旧態然としたやり方には「昭和だね〜」を超えて「まだ平成気分?」と負の遺産は過去に、共に前に進みたいものです。