エッセイスト酒井順子さんによる書き下ろし連載。『負け犬の遠吠え』から15年。50代を迎えた酒井順子さんが“安心して老けられること”について掘り下げます。ロールモデルがいないと嘆く後輩世代。一方、ずっとロールモデルを探してきた私たちは、この後どんなポジションを目指していくべきなのでしょうか……。

【働くおばさん・前編】はこちら>>

 


いやでも存在感が増していく「働くおばさん」あるある


 女性にとってのロールモデル探しが延々と困難であり続ける背景には、女性の立場が人によって実に様々、という事情があります。労働への意欲。結婚や子供の状況。家事の分担状況などの組み合わせによって、女性の働き方は千差万別であり、自分と同じような状況の人を見つけるのは難しい。

 周囲を見回しても、50代女性達の働き方は、実にまちまちであり、学生時代の仲良し達も全員、働き方が違っているのです。すなわち、夫も子供も仕事も持つ人。離婚して働くシングルマザー。独身で働き続ける会社員。主婦でパート勤務。完全専業主婦。そして私のようなフリーで働く者。……と、同じ状況の人は一人もいないのでした。

 そんな中で一つだけ言うことができるのは、それぞれが生きる世界の中で、確実に「ベテラン」になってきている、ということでしょう。仕事を続けている人は、職場で。専業主婦の人は、家庭や主婦コミュニティーの中で。それぞれが経験を積んで、存在感がたっぷりになってきている。

 中でも、同じ仕事をずっと続けている人が50代になると、職場の中で、ぐっと重厚感が増してきます。つまり一口に言ってしまうと、「怖い」存在になってくるのです。

 同い年の働く女性の友達3人でたまに集まる私。私以外は子育てをしながら働き続けてきて、一人は大企業の部長で一人は医師ですから、その仕事は大変そう。

 女子会などと言うのはおこがましいので、我々はその集いを「働くおばさんの会」と呼んでいるのでした。そう言えば私達が子供の頃、NHK教育テレビで「はたらくおじさん」という番組があったもの。色々な職業を紹介する番組だったわけですが、
「あの頃は、『働く』と言えば『おじさん』だったわけねぇ」
「確かに、『おばさん』のほとんどは、主婦だった。そして主婦の家事労働は、労働だと思われていなかった」
などと我々は話す中で盛り上がるのは、「働くおばさんあるある」の事例です。

 医師は、
「ただ若い看護師さんの名前を呼んだだけなのに、『すいませんっ!』って謝られた」
 と。部長は、
「『うちの部って、上下関係も無いし何でも言い合える雰囲気よね?』って部員に言ったら、『そう思ってるのは部長だけです』って言われた」
 と。

 私も最近、若者から明らかに怖がられている、と気づく時があります。若い編集者さんなどと初めて会う時、相手の手が震えているので体調でも悪いのかと思ったら、こちらを怖がって震えていたらしい、ということもありましたっけ。

「でも私、そんな怖くないと思わない?」
 と働くおばさん達に聞いてみると、
「だからー、そう思ってるのは自分だけなんだってば。端から見たら十分怖いのよ!」
 とのこと。そういえば自分もキャリアはものすごく長いわけで、
「若い編集者さんなんかきっと、あなたの前ではビクビクしてると思う」
 とのことなのでした。


「怖がられないように」気を使う管理職の女性たち


 自分の若い頃を思い出せば、確かに仕事で出会う50代女性は、怖かったものです。50代でも男性であれば、こちらが「若い女」だというだけで、色々と見逃してくれました。若い女のアラが、そもそも彼等の視界には入ってこないらしい、ということも感じたものです。

 しかし女性となると、同じようにはいきません。同じ道を通ってきた女同士ということで、ごまかしが利かないのですから。

 私などは、部下を持つ身ではないので、まだ「怖がられる」ことに対する危惧が薄い方なのかもしれません。対して組織の中で部下を持つ50代女性達は皆、「怖がられないように」と苦慮しています。パワハラへの視線も厳しい今の時代、若い後輩を傷つけないよう、日々気をつけているのです。

 一方で女性上司は、舐められがちな存在でもあるのでした。
「自分が男だったら、こういう態度を取られないだろうなっていうことを、特に若い男の部下にされたりするわね。上司が女っていうことが受け入れられない人もいるのよ」
 ということなのだそう。自分より年上の男性部下がいたりすると、さらに扱いは難しいのだそうで……。

 管理職に就く女性が少ない日本の企業ですから、管理職の女性達にとって、それこそロールモデルは見つけづらい。他企業の「働くおばさん」同士で、女性管理職としての愚痴を言い合ったりするしかないのです。

 管理職ばかりではありません。男性並みの道を選ばず、しかしずっと働き続けている女性達は、50代となって自分よりも年下の上司を持つケースが多くなっています。その手の立場の友人もいるのですが、
「やっぱり、怖がられないようにって気をつかうわよぅ。お局もいいところの年だし」
 とのこと。

 かといって、ただニコニコしている「職場のお母さん」的な存在でやっていけるほど、今の職場は甘くありません。

「もっと気をつけているのは、『使えないおばさん』になっちゃうことね。でも、IT関係の知識とかは全く追いつかないし、何かつらい……。早期退職制度とかあったら、応募しようかどうしようか、悩むところだわ」
 と、働くおばさんは悩んでいます。そして私は、
「私なんか、パワーポイントも使えない」
 と言い出せず、
「わかるわかる……」
 と言っている。

 管理職であろうとそうでなかろうと、少し強く何かを言うと「怖いおばさん」になってしまう。今時の働くおばさん達は皆、その手のことに悩んでいます。バブル期に青春時代を過ごしたせいで、うっかり若者的意識を持ち続けてしまった私達は、「怖いおばさん」になることを受け入れられないのです。

 しかし私は最近、「怖いおばさん」になることを避け続けるのは、一種の責任放棄なのではないか、という気もしてきました。おばさんとしての、社会的な役割。それは包容力を持って若者に接するだけではありますまい。若者にきちんと駄目出しをして導くこともまた、おばさんの役目なのではないか。

「怖いおばさんだと思われたくない」という意識を持ちすぎると、その役目を果たすことはできなくなります。時に嫌われたりウザがられたりすることを覚悟しなくてはならぬ時も、あるのではないか。

 昔のおばさん達は、他人の子であっても、悪い事は悪いと言ったのだそう。しかし今、我々おばさんは、自分の部下も叱ることができなくなっています。部下に頼んだ仕事の出来が悪くても、
「つい『直して』って言い出せなくて、私が休日出勤してやり直したりしているのよ。若い頃、クソ意地を出して働いていた時と同じくらい、今も働いてる」
 と、涙目で語る50代もいましたっけ。

 男女雇用機会均等法の施行以来、企業の中で常に珍獣として生きてきた我々世代は、今もなお、珍獣のままなのかもしれません。しかしそうなのだとしたら、会社人生ももうそうは長く続かないのだからして、「怖がられないよう」「嫌われないよう」とビクビクするのでなく、「おばさんってのは、こういうものだ!」というところを見せてもよいのではないか。堂々とした「強いおばさん」「怖いおばさん」を見た時に、下の世代の女性達も、「強くてもいいんだ」と、思いきり力を発揮できるようになるのかもしれません。

写真/Tirachard Kumtanom from Pexels