こんにちは。川端です。前回に続けて、書くことを生業にしているプロフェッショナルの方たちのお話です。

ミモレに載ってた「料理家・栗原心平流『懐かしの喫茶店風ナポリタン』レシピ」通りに作ったら、すごく美味しかったです。誰でも作れるものをさらに美味しく、誰でもできるノウハウに落とし込むっていうのもプロフェッショナルのなせる技だなあと思った次第……。

誰でも発信できる時代になった一方で、職業として「コラムニスト」と名乗る人、名乗れる人は減っている気がします。酒井順子さんはコラムニストではなく、あえて「エッセイスト」と名乗ってらっしゃるそうですが。モデルや女優、元アナウンサー、演出家など別の職業・経歴があって、「〇〇・エッセイスト」っていう肩書きの方は多いけれど、“のみ”の人は非常に少ない気がします。

前回ご紹介した小田嶋隆さん『コラム道』にあった「コラムとは」の解説がまた秀逸でありました。

「非常識な方法で常識を語り、規格外のもの言いで素朴な心情を語る、とかいった調子の」

「当たり前でないこと」と「常識的であること」、「個性」と「普遍性」の両方あることが必要なんですね。コラムとはあるまとまった文章量の中で、読んだ人が納得すること、ああ〜私もそう思ってた〜、そうそうそう!っていうカタルシスが大事です。

文芸ならば、凡人の感覚を超越した感性や難解さが評価されることもありますが、コラムやエッセイは、みんなが思っていたことを言葉にする筆力が問われます。

齋藤薫さんと以前お仕事をご一緒した時に、「齋藤薫さんの文章のファンですと言ってくださる読者の方は、私が理想として描くような女性ばかり。長らく私は何かを啓蒙しているつもりで書いていたけれど、実はもうできている人が、やっぱり私もそう思ってたと確認するために読まれているんじゃないかと気づいたんです」というような趣旨のことをおっしゃっていて。もちろん本人のご謙遜もあるでしょうが。それこそが“女性誌のコラムの本質”かもしれないと思ったのでした。

私もそう思ってた〜と多くの人が感じる「素朴な心情」を、「当たり前」じゃない視点や書き口で、規定の枠組み(文字量)にまとめるっていうね。神業!

これぞコラムの醍醐味!と思えた本をご紹介します。

予定調和な言い回しを許さない武田砂鉄さんの『紋切型社会』。

と同じく武田砂鉄さんの『日本の気配』。

KY=空気が読めないことが蔑まれたのは少し前のこと。今はそれよりさらに進んで「気配を読む」ことが求められすぎていないか、という指摘。「忖度」とは実に時代をよく表した言葉ですね。

 「私もそう思ってた〜!」と怒りのポイントが同じで溜飲が下がる部分と、痛いところを突かれて恥ずかしさにいたたまれない気持ちにさせられる部分の両方があります。

そういう気分にさせるのを筆力というのかもしれません。

ブログはブログで手軽に読めて手ごろに共感できてしまうけれど、決められた文字数の中でカタルシスを得られるコラムとは、やはり偉大なものですね。

次回は、そんな中でも筆力に圧倒され、今一番楽しみにしているブログのお話を書きたいと思います。ではではまた〜。