こんにちは。川端です。お久しぶりの更新になってしまいました。

……というありふれた書き出しにならないように……と悩んでいた結果、お久しぶりの編集部ブログ更新になってしまいました(汗)。

そんな私に喝を入れてくれた、とても感銘を受けた本がこちらです。

天才コラムニスト小田嶋隆さんのその名もずばり『小田嶋隆のコラム道』。

数々の名コラムを生み出してきた著者が「書き出しについてのあれこれ」「文体と主語」「遂行について」などなど……手の内を明かしてくれるというオイシイ本です。

「書き出しについてのあれこれ」のところで、名手の書き出しの考え方とはどんなものか? 冒頭の「お久しぶり〜」みたいな書き出しはさぞかしこき下ろされることでしょう、と思いながら恐る恐る読んだのですが……

「書き出しにおいて最も重要な要素は、書き出すというアクションであって、書き出した結果ではない」

とな!

うう。ぐうの音も出ません。

文章に自信のある人ほど、書き出しにこだわったり、自分でこれはダサいとダメ出しをしたりして、書き出しで止まってしまう“書き出しイップス”に陥りがち、という指摘も。

ぐう、とだけ音をあげてもいいでしょうか。

じゃあどうしたら良いのか。小田嶋先生の教えは

「話は簡単だ。つまり、書いてしまえばよいのである。思い切りダサく。あるいは紋切り型のいつものあいさつで」

「どんどん無神経に、だらしなく、唐突に」とにかく書き出せ!という。

そうだよな〜、書いてなんぼだよね〜と反省したのと同時に、気が楽になったのでした。

最近は、著者の方へのご連絡や依頼もメールで企画書添付というわりとドライな接触が増えましたし、LINEやメッセンジャーやSlackでのやり取りが増え、上司にも著者にも用件から入ることが多くなりました。

それでも、ときどき手書きの手紙を書いたり、物書きを生業にしている方へメールを送る機会もあったりすると、書き出しに悩んで(ちょっと気の利いたことを言いたいと力んで)どんどん先送りにしてしまうことが……。

川端康成か、おまえはーーー!!

『雪国』求めてへんからーーー!!

書き出しは、書き手が思うほど、読み手にとっては大事じゃない、という小田嶋さんの指摘を胸に刻んで。文章も、手紙も。書き出した先の中身が大事。

とりあえず書き出すべし!と思ったのでした。

同じく小田嶋隆さんの『上を向いてアルコール』も面白かったです。人気コラムニストの酒好き自堕落エッセイかと思って読んだら、ガチのアルコール依存症からの脱却ルポで衝撃を上けましたが。コラムニストの「筆力」ってすごいなと思いました。

この編集部ブログは、コラムとは違ってただの散文、散文と呼ぶのもおこがましいのですが(汗)。文章を書く機会はわりと多く、そもそも書くことが好きなんだと思います。でももしかしたら私のような仕事に限らず、ミモレ世代のみなさんも年齢的にも時代的にも文章を書くことがわりと好き&機会が増えているのではないでしょうか。

昔なら「mixi」とかありましたよね。今はまた「アメブロ」のようなブログプラットフォームだけでなく、「note」のように記事を販売することもできたり、オンラインサロンのようなコアユーザーだけ読めるメルマガがあったり。

もうすでにやってらっしゃる方もいらっしゃるかもなのですが、私がとてもおすすめしたいのは、誰かに読ませることを想定しながらちょっとまとまった量の文章を書くことなんです。

趣味のこと、お洋服のこと、誰かの追っかけをしてるなどもいいですし。例えば、何か強い憤りを感じるような痛ましい事件があったときや、社会がもっとこうなればいいのにと強く思ったときなんかに、ちょっとした分量の文章に書いてみるっていうのはセルフメンタルケアにすごくいいなと思うんです。他人へ公開するかしないかは別として、なぜこの事件が許せないのかとか、誰に怒ってるのか、どうだったらいいのか、とか、書くとすっきりすることもあるし、誰かに伝える下書きになったり。

夜中に帰ってきた夫や、たまに会う友人に急に喋っても話がうまくまとまらず、「え?なんでそんな怒ってんの?」とかなって余計にモヤモヤするし。勢いに任せてtwitterとかにつぶやいてしまうと、言葉足らずで炎上したり、誰かを傷つけてしまったりが怖いですしね。

そんなわけでまた編集部ブログをちゃんと再開しようと思います。

次回は、誰でも発信できる時代の「コラム」って?「コラムニスト」って?というお話をぜひと思っています。

ではではまた〜。